自分の中だけの話だけど。
教科書どおりに、最初にテーマを書き下してみる。
すると、妄想の世界では革命的に思えたテーマが、
急に色褪せて見えることがある。
鏡を見て、自分が思ったほどいけてないという感覚だ。
僕は試着室で感じるこの感覚を、
サウダージのような一言の言葉にする発明をするべきでないかと思っている。
「試着室の鏡」と仮に名付けてみよう。
さて。
鏡を見て、自分が大したことないと落ち込むのは、
書く前のほうが被害が少ないか、
完成したあとのほうが被害が少ないか、だ。
後者のほうがダメージがデカイのは当然だ。
逆説的に、
これを何度かやって、それを克服しない限り、
続けられないものである。
今続けている人は、
その相当な落ち込みを何度か経験し、
傷つき、なおかつ理想を見たままやめなかった人だけだ。
似たような感じだけど、
動画で映っている俺だけ声が違う感覚、
みたいなことかも。
(自分に聞こえている自分の生声は、
骨伝導成分を含むので、他人に聞こえている声より低い。
つまり映像で見る自分の声は、
自分の記憶より高い声で再生される。
他の人の声は骨伝導がない、耳で聞いた声だ。
自分だけ甲高い、そのマヌケさたるや!)
当然だけど、歌手はこれを克服する。
自分に聞こえる自分の声と、
皆が聞き録音に残る声の違いを把握し、
後者をコントロールするように練習する。
歌手は最初は土手やホールで生声を鍛えるかも知れないが、
いずれマイクとスピーカーで「鏡」を見ながらトレーニングするようになる。
それは、最初に鏡を見てショックを受けない限り、
続ける原動力にならないだろう。
で、
自分が書いたものが思ったほどいけてないと、
どこで知るかを、
戦略的にコントロールしようというのが今回の主題だ。
テーマがAだ、
と本編を書く前から紙に書いてはいけない。
もう少し妄想を発展させるまで、書かない。
自分の書きたいことはこういうことかな、
と、直感で思うレベルでよい。
(どうしても書きたければ、ケータイのメモ書きにして、
滅多に見ないフォルダに全部いれとけ)
執筆中も、テーマがAだ、と書いてはいけない。
あくまで心の中で思うレベルでいい。
中盤を過ぎ、終盤に向かうにつれ、
そのテーマに沿うように、
体が勝手に動く筈だ。
完結してはじめて、テーマはAだな、
と思うレベルでいい。
あとは、それを初めて書き下し、
全てをAに従ってリライトするといい。
テーマを最初に決めると、
そのテーマが陳腐だなと思ってしまったら、
BやCに書き直したくなる衝動に襲われる。
そうすると迷路に入るのは既に書いた。
じゃ、その迷路に一切入らない、
という選択肢を試してみるのも手だよ、
という逆説だ。
どうせ自信や覚悟がもつのは、二、三日。
それを過ぎたらきつくなる。
文字にしてあるからそれに縛られる。
じゃあ無意識下に、無言語として押し込めておこうという作戦だ。
心配しなくても、
書き終えたら、
とてつもなく恥ずかしい出来だと鏡を見て気づくことになる。
それを何回も経験するしか、
アウトプットとインプットのループを作る方法はない。
自分の声をコントロールする歌手のように。
1. テーマを最初に書き下そう。
2. テーマなんて最初に書かずに勢いで書ききれ。
どちらも正しい方法論だ。
あなたが最後まで書けて、それが名作であるためには、
どちらのルートから登ってもいいのである。
自分に向く方法を、試してみるといいだろう。
全ての方法論は疑うべきだ。
自分のやり方を崩してどうなるかを知ることは、
そのやり方や自分について知る方法だ。
僕は試着室の鏡が大嫌いだ。
その代わり、自分の作品はちゃんと鏡が見れてるとは思う。
2015年12月26日
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