若いころは、分かってる奴と思われたくて、
誰も気づかなかった細かい所に言及しがちだ。
ここに気づいた俺すげえだろ?と。
実は重箱の隅をつついても、あなたに成長はない。
あなたは常に、真ん中を見るべきだ。
つまりは、テーマとそれに至るメインプロットをである。
批評をするとき、
メインプロットから逃げがちな気持ちは分かる。
そういう難しいのは、もっと偉い大人が分析するところで、
そこは任せるとして、
俺みたいな若いのは周辺をやっときます、
という感じだ。
それは、自分の未熟な解釈力を披露するのが怖い、
ということの裏返しだ。
点数取れるところから取っておいて、
馬鹿にされそうな大減点を避けようとする心理だ。
それは、一般の人なら構わない。
何を言うのも自由である。
あなたは脚本を書くのなら、
真ん中を避けてはいけない。
その映画のテーマをつまびらかにし、
主人公の欠落や渇きから、
いかにして本題に迫り、
どういう紆余曲折があり、
最終的に何を学び変化したかを、
自分の言葉で表現しなければならない。
合っているとか合ってないとかは関係ない。
作者の意図かどうかも関係ない。
あなたがその映画の真ん中をどう見たかを、
あなたの言葉で書くべきだ。
それを逃げないで何本も何十本もやっていると、
次第にわかってくるのである。
その真ん中に、
出来不出来があるということ。
何かに似てるものがあるということ。
心に刺さるものとそうでもないものがあること。
真ん中で勝負せず、脇で勝利しようとしているものがあること
(たとえば実写あしたのジョーは、
政治的な部分の矢吹と白石を捨て、
力石と西で勝利しようとしている映画だ。成功はしていない)。
何かと何かを組み合わせているものや、
アレンジしてるものがあるということ。
途中まで出来がよいが部分的にダメなものがあること。
これが分かるようになるまで、
真ん中から逃げないことだ。
ライトセイバーが十文字かどうかは、どうでもいいんだよ。
SWの世界観はメカを汚したから画期的だった、
とかもどうでもいいんだよ(俺的には重要なんだけど)。
人間にはライトサイドとダークサイドがあるってことが、
有史以来のテーマ過ぎて、カビはえてねえか?って所が問題なのさ。
(正月休みの間にSW7は見る予定。
以下、俺の勝手な予測。
SW789はルークの双子の子供たちの話になる、
と確か言われていた筈だ。
どっちかがダークサイドに落ちるんだろどうせ?
下敷きはカインとアベルじゃねえの?
それが古くさすぎて、男女の双子にしたんじゃね?
で、123でのアナキンがダークサイドに落ちる過程が、
いまいち面白くなかったよね?
SWで本当に人間の暗黒面なんて面白く描けないんじゃない?
ソウなる悪意の傑作を、俺たちは見てるんだぜ?
まさか黒いフード被ったら悪者、なんて馬鹿な記号化しねえだろうな?
俺はダースモールの出落ちガッカリに、まだ怒っているのだ。
で、そもそもSWの真ん中ってなんだ?)
そうしてその映画のど真ん中と付き合えば付き合うほど、
あなたは、自分の作品についても、
そう付き合えるようになるはずだ。
2015年12月27日
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