2015年12月28日

映画的物語の定義

前記事の物語形式は、
逆に、僕の考える映画的物語を定義していることになる。


再掲する。

「主人公に欠落や渇きがあり、
とある事件を解決する必要に迫られ、
自ら解決に乗り出し、
その過程で様々な抵抗や障害に遭い、
それらを克服する過程で自分の欠落に向き合い、
克服し、
いよいよ最終決戦で直接対決をし、
解決の瞬間にカタルシスがあり、
主人公の変化こそがテーマを意味している」


複雑な概念の時は、逆を考えよう。
補集合を考える。


主人公はいない。いても影がうすい。
あるいは複数が主人公で混乱し、
あるいは誰が主人公(主軸)か分からない。

主人公は内的欠落がない完璧な人間で、
主人公の内面には一切入らず、ただ活躍する場面の連続。

事件は起こらない。
あるいは平凡なことしか起こらない。
あるいは、事件の解決に巻き込まれるが、
自分の意思で解決するつもりは最後までない。
ただいるだけで、周りが動いてくれて泥を被らない。

するするっと話が進む。
ご都合主義。
話は障害にぶつからないから、即解決!
(15秒くらいで終わるかな?)
あるいは、同じ展開、退屈な展開だけが延々続く。

主人公に欠点なんかないから、克服しなくていい。
人間の深いところから逃げて、表面だけをなぞってればいい。
暗黒面や負の側面など避けて、楽しいことだけやってればいい。
上澄みの付き合いで感情移入してればいいのさ。
あるいは、負の側面を克服しなくていい。
ダメな主人公がダメなままで、中途半端のまま終わる。

最終決戦はなくていい。
ずるずる終わっていい。ヤマなぞない。緊張もない。
主人公が直接対決から逃げ、勝手に決着がつく。
対決しなくて話が勝手に終わる。
勝利しない。あるいは解決しない。

主人公は変化せず、同じ毎日が続く。
今回の話は、あってもなくてもどっちでも良かった。
テーマはない。
たんに空騒ぎで、もう日常へ戻っちゃった。



これらはすべて、詰まらない映画の特徴だ。

面白い映画の物語構造というのは、
これまでの膨大な失敗以外の、
成功した部分だけを抽象化したものでもあるのだ。
勿論、必要最小限かつ必要十分条件である保証はない。

ただ最初から成功部分だけをマスターしようと思っても、
なかなかマスター出来ないものだ。
失敗して学ぶことも大いに重要である。
習作というのは、失敗を経験する場でもあるのだ。

ということで沢山書こう。
この法則外の、面白い何かを発見するかも知れない。
それはあなたのオリジナル法則になるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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