前記事の物語形式は、
逆に、僕の考える映画的物語を定義していることになる。
再掲する。
「主人公に欠落や渇きがあり、
とある事件を解決する必要に迫られ、
自ら解決に乗り出し、
その過程で様々な抵抗や障害に遭い、
それらを克服する過程で自分の欠落に向き合い、
克服し、
いよいよ最終決戦で直接対決をし、
解決の瞬間にカタルシスがあり、
主人公の変化こそがテーマを意味している」
複雑な概念の時は、逆を考えよう。
補集合を考える。
主人公はいない。いても影がうすい。
あるいは複数が主人公で混乱し、
あるいは誰が主人公(主軸)か分からない。
主人公は内的欠落がない完璧な人間で、
主人公の内面には一切入らず、ただ活躍する場面の連続。
事件は起こらない。
あるいは平凡なことしか起こらない。
あるいは、事件の解決に巻き込まれるが、
自分の意思で解決するつもりは最後までない。
ただいるだけで、周りが動いてくれて泥を被らない。
するするっと話が進む。
ご都合主義。
話は障害にぶつからないから、即解決!
(15秒くらいで終わるかな?)
あるいは、同じ展開、退屈な展開だけが延々続く。
主人公に欠点なんかないから、克服しなくていい。
人間の深いところから逃げて、表面だけをなぞってればいい。
暗黒面や負の側面など避けて、楽しいことだけやってればいい。
上澄みの付き合いで感情移入してればいいのさ。
あるいは、負の側面を克服しなくていい。
ダメな主人公がダメなままで、中途半端のまま終わる。
最終決戦はなくていい。
ずるずる終わっていい。ヤマなぞない。緊張もない。
主人公が直接対決から逃げ、勝手に決着がつく。
対決しなくて話が勝手に終わる。
勝利しない。あるいは解決しない。
主人公は変化せず、同じ毎日が続く。
今回の話は、あってもなくてもどっちでも良かった。
テーマはない。
たんに空騒ぎで、もう日常へ戻っちゃった。
これらはすべて、詰まらない映画の特徴だ。
面白い映画の物語構造というのは、
これまでの膨大な失敗以外の、
成功した部分だけを抽象化したものでもあるのだ。
勿論、必要最小限かつ必要十分条件である保証はない。
ただ最初から成功部分だけをマスターしようと思っても、
なかなかマスター出来ないものだ。
失敗して学ぶことも大いに重要である。
習作というのは、失敗を経験する場でもあるのだ。
ということで沢山書こう。
この法則外の、面白い何かを発見するかも知れない。
それはあなたのオリジナル法則になるだろう。
2015年12月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック