2015年12月30日

上手い人は、手もできている

対句のように書いておく。
そもそも目が出来ているだけでは、
片手落ちだ。
舌だけ肥えて料理の作れない評論家と同じだ。

あなたは、目と同じぐらい手が出来ていなければならない。


僕は演出部に入った頃、
「頭と手の連動の訓練をせよ」と教えられた。
97年当時はオフィスがパソコン化されていないので、
みんな書類は手で書いていた。
企画もコンテもアイデアも、プレゼン用紙も全部手書きだった。
その時代に手を訓練するのは常識だ。

つまりは、
ひとつのことを深く書いたり、
色々な角度から書いたり、
出来るだけ色んなパターンを書いたり、
何度か下書きしてから清書する。

僕がいまだに、脚本も小説も一旦は全部手書きするのも、
手が出来ているからだ。
文字うちより速いし、頭の中のことばを出すのがよりスムーズだからだ。

ある種の手癖があり、自動化されていることも大きい。

自転車の運転のように、
肉体でこなすことは、どこか自動化される。
いちいち右足の次に左足を出したり、
左に傾いたら右に戻すとか、
そういう細かいことは自動化(体が勝手にやる)されて、
頭はどこに行こうかとか、周りの状況を考えるとかを、
するだけでよくなる。

それと同じで、僕は会話場面が詰まることは殆どない。
何を話すか考えるだけで、
その先をしっかり考えるだけで、
勝手に会話文が生まれて、
しかもリズムがよくて上手くストンと落ちる会話になる。

そこまで手を鍛えなさい。


漫画家なんて、何も見なくたって全身のポーズはかけるぜ?
それは、既に全身のポーズが手癖になってるからだ。
ポーズさえ決めれば、服のシワも首の角度も目線も、
手も指も、重心の置き方も、そもそものパーツのバランスも、
手癖でかけるのだ。
そうじゃない限り、いちいち一から描いていては間に合わない。

それと同じだ。

どんな場面だろうが、どんな展開だろうが、
どんなオープニングだろうがどんなエンディングだろうが、
まずは手癖になるまでバリエーションを書くことだ。
そこまで書くと、
自分の経験と他の作品を照らし合わせてどうなのか、
を見る目が出来てくる。
だから見る目というのは、手と目の比較をしているのである。

舌だけ肥えてもしょうがない。
ダメなグルメ評論家は、このインプットと別のインプットを比較する。
インプットとアウトプットを比較することが、
目と手を比較することである。

手が出来れば目が出来る。
目が出来れば手も出来ていく。

それを原稿用紙身長分やれば、
いっちょまえである。



ついでに業界批判だが、最近パソコンで、
コンテライターに描かせてつくるコンテが増えている。
つまり手書きでコンテをフィニッシュしていない。
だから、手が出来ていないクリエイターが増えている。
つまり、舌だけ肥えて料理がつくれないやつばかりだ。
そういうやつの作るコンテは、
やっぱり詰まらないし、作家性がない。
結局作家性てのは、手から出てくると思うのだ。

手を鍛えてないやつは、自分一人じゃなんにも出来ない、
文句を言ってるおぼっちゃまにすぎない。
(手で書けないから、資料を要求してくるんだよね、馬鹿どもが)
posted by おおおかとしひこ at 13:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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