対句のように書いておく。
そもそも目が出来ているだけでは、
片手落ちだ。
舌だけ肥えて料理の作れない評論家と同じだ。
あなたは、目と同じぐらい手が出来ていなければならない。
僕は演出部に入った頃、
「頭と手の連動の訓練をせよ」と教えられた。
97年当時はオフィスがパソコン化されていないので、
みんな書類は手で書いていた。
企画もコンテもアイデアも、プレゼン用紙も全部手書きだった。
その時代に手を訓練するのは常識だ。
つまりは、
ひとつのことを深く書いたり、
色々な角度から書いたり、
出来るだけ色んなパターンを書いたり、
何度か下書きしてから清書する。
僕がいまだに、脚本も小説も一旦は全部手書きするのも、
手が出来ているからだ。
文字うちより速いし、頭の中のことばを出すのがよりスムーズだからだ。
ある種の手癖があり、自動化されていることも大きい。
自転車の運転のように、
肉体でこなすことは、どこか自動化される。
いちいち右足の次に左足を出したり、
左に傾いたら右に戻すとか、
そういう細かいことは自動化(体が勝手にやる)されて、
頭はどこに行こうかとか、周りの状況を考えるとかを、
するだけでよくなる。
それと同じで、僕は会話場面が詰まることは殆どない。
何を話すか考えるだけで、
その先をしっかり考えるだけで、
勝手に会話文が生まれて、
しかもリズムがよくて上手くストンと落ちる会話になる。
そこまで手を鍛えなさい。
漫画家なんて、何も見なくたって全身のポーズはかけるぜ?
それは、既に全身のポーズが手癖になってるからだ。
ポーズさえ決めれば、服のシワも首の角度も目線も、
手も指も、重心の置き方も、そもそものパーツのバランスも、
手癖でかけるのだ。
そうじゃない限り、いちいち一から描いていては間に合わない。
それと同じだ。
どんな場面だろうが、どんな展開だろうが、
どんなオープニングだろうがどんなエンディングだろうが、
まずは手癖になるまでバリエーションを書くことだ。
そこまで書くと、
自分の経験と他の作品を照らし合わせてどうなのか、
を見る目が出来てくる。
だから見る目というのは、手と目の比較をしているのである。
舌だけ肥えてもしょうがない。
ダメなグルメ評論家は、このインプットと別のインプットを比較する。
インプットとアウトプットを比較することが、
目と手を比較することである。
手が出来れば目が出来る。
目が出来れば手も出来ていく。
それを原稿用紙身長分やれば、
いっちょまえである。
ついでに業界批判だが、最近パソコンで、
コンテライターに描かせてつくるコンテが増えている。
つまり手書きでコンテをフィニッシュしていない。
だから、手が出来ていないクリエイターが増えている。
つまり、舌だけ肥えて料理がつくれないやつばかりだ。
そういうやつの作るコンテは、
やっぱり詰まらないし、作家性がない。
結局作家性てのは、手から出てくると思うのだ。
手を鍛えてないやつは、自分一人じゃなんにも出来ない、
文句を言ってるおぼっちゃまにすぎない。
(手で書けないから、資料を要求してくるんだよね、馬鹿どもが)
2015年12月30日
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