2015年12月31日

徒手空拳の宇宙遊泳

執筆していると、
どうしてもこういう場面に出くわす。
たとえていうなら、
「ゼログラビティ」の命綱なしで遊泳して、
目的にたどり着かなきゃいけないシーン。
あそこは本当に怖かったねえ。

どういうことかと言うと、
事前準備は出来ない、
ざっくりした手順もイメージ出来ない、
それでいてある種の帰結イメージだけは決まっていて、
アドリブでそこにたどり着かなきゃいけない、
そういうシーンを、
ノープランで書く、
羽目のこと。


たとえば件のゼログラビティでは、
割りと綿密に台本が練られていたと思う。
徒手空拳の宇宙遊泳の気持ちにさせる為であるような、
計算が効いていて勝算があったから、
ああいうシーンが出来る。


しかし、そうはいかないときが脚本には時々ある。
今言葉ひとつで切り抜けない限り、
このシーンが書けたとはいえない、
みたいなシーンだ。

逃げ場がないとき、これが起こりやすい。
たとえばシーンを変えたり、小道具を使ったり、
言葉じゃなくて動作にしたりと、
色々な別のやり方が許されず、
この場所で台詞だけでどうにかして、
最終的に○○じゃなきゃいけない、
みたいなときだ。

追い詰められるのはその人物でなく、俺だ。


やべえどうしよう、アドリブでやらなきゃ、
と焦る焦る。
しかも目的地にたどり着ける勝算はない。

こういうときは、
勇気を決めて、腹を決めるしかない。
失敗したらもう一回全面書き直し、と決めて、
そのシーンに徒手空拳で挑むしかない。
たいてい着地は、ゼログラビティのときと同様、
ギリギリ転がって滑り込むみっともないものになる。
うまくスパーンと決めたいのだがね。

今書いている話で、
そういう対峙シーンがあった。
1対1の、部屋のなかで台詞劇のみで、
しかも監視されていてゴールは決まっているシチュエーション。
目的は、女が男を惚れさせて懐柔し、
男が頑なに話さないトラウマを聞き出すこと。
(セックス的なもの禁止)

何も小手先のテクニックはない。
徒手空拳でやるしかない。丸裸の闘いだ。

結局、原稿用紙でいえば15枚ぐらいの長大なアドリブになった。
(小説なので参考数字だが。脚本で15枚アドリブは、
15分1ショットに相当するので、かなりの集中力がいる)
1日では書けなくて、2日かけた。
で、途中集中力が切れる所があったので、そこを改修して2シーンとした。

アドリブは、スムーズに流れない。
ゴツゴツしている。
が、緊張感のあるリアリティーがある。
それを出すには、
自分が緊張して、命綱なしで空中遊泳するしかない。

一作品で何回もやるパートではないけど、
今のところ、この作品のお楽しみポイントに確実になったと思う。


恐らくだけど、仮にそういうのがひとつもなくとも、
そうなる唯一のシーンがある。
それがクライマックスの直接対決じゃないか。
だからクライマックスは面白いんじゃないかなあ。

最終的に主人公の勝利が決まっていたとしても、
そのアドリブ的なハラハラに、みんなハラハラするんじゃないかなあ。

(ちなみに一度書いた話のリライトなので、
徒手空拳の宇宙遊泳のクライマックスは既にある。
今回足したアドリブシーンは新しく追加したものなので、
そういう羽目になった)
posted by おおおかとしひこ at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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