執筆していると、
どうしてもこういう場面に出くわす。
たとえていうなら、
「ゼログラビティ」の命綱なしで遊泳して、
目的にたどり着かなきゃいけないシーン。
あそこは本当に怖かったねえ。
どういうことかと言うと、
事前準備は出来ない、
ざっくりした手順もイメージ出来ない、
それでいてある種の帰結イメージだけは決まっていて、
アドリブでそこにたどり着かなきゃいけない、
そういうシーンを、
ノープランで書く、
羽目のこと。
たとえば件のゼログラビティでは、
割りと綿密に台本が練られていたと思う。
徒手空拳の宇宙遊泳の気持ちにさせる為であるような、
計算が効いていて勝算があったから、
ああいうシーンが出来る。
しかし、そうはいかないときが脚本には時々ある。
今言葉ひとつで切り抜けない限り、
このシーンが書けたとはいえない、
みたいなシーンだ。
逃げ場がないとき、これが起こりやすい。
たとえばシーンを変えたり、小道具を使ったり、
言葉じゃなくて動作にしたりと、
色々な別のやり方が許されず、
この場所で台詞だけでどうにかして、
最終的に○○じゃなきゃいけない、
みたいなときだ。
追い詰められるのはその人物でなく、俺だ。
やべえどうしよう、アドリブでやらなきゃ、
と焦る焦る。
しかも目的地にたどり着ける勝算はない。
こういうときは、
勇気を決めて、腹を決めるしかない。
失敗したらもう一回全面書き直し、と決めて、
そのシーンに徒手空拳で挑むしかない。
たいてい着地は、ゼログラビティのときと同様、
ギリギリ転がって滑り込むみっともないものになる。
うまくスパーンと決めたいのだがね。
今書いている話で、
そういう対峙シーンがあった。
1対1の、部屋のなかで台詞劇のみで、
しかも監視されていてゴールは決まっているシチュエーション。
目的は、女が男を惚れさせて懐柔し、
男が頑なに話さないトラウマを聞き出すこと。
(セックス的なもの禁止)
何も小手先のテクニックはない。
徒手空拳でやるしかない。丸裸の闘いだ。
結局、原稿用紙でいえば15枚ぐらいの長大なアドリブになった。
(小説なので参考数字だが。脚本で15枚アドリブは、
15分1ショットに相当するので、かなりの集中力がいる)
1日では書けなくて、2日かけた。
で、途中集中力が切れる所があったので、そこを改修して2シーンとした。
アドリブは、スムーズに流れない。
ゴツゴツしている。
が、緊張感のあるリアリティーがある。
それを出すには、
自分が緊張して、命綱なしで空中遊泳するしかない。
一作品で何回もやるパートではないけど、
今のところ、この作品のお楽しみポイントに確実になったと思う。
恐らくだけど、仮にそういうのがひとつもなくとも、
そうなる唯一のシーンがある。
それがクライマックスの直接対決じゃないか。
だからクライマックスは面白いんじゃないかなあ。
最終的に主人公の勝利が決まっていたとしても、
そのアドリブ的なハラハラに、みんなハラハラするんじゃないかなあ。
(ちなみに一度書いた話のリライトなので、
徒手空拳の宇宙遊泳のクライマックスは既にある。
今回足したアドリブシーンは新しく追加したものなので、
そういう羽目になった)
2015年12月31日
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