盛り上がり曲線みたいなものを、
脚本の教科書によく見ることがある。
直感的には分かりやすいけど、
自分が書く分には全く使えない。
疎と密で考えたほうがいいと思う。
盛り上がり曲線グラフは、
横軸に時間(開始から終了まで)、
縦軸に盛り上がり度合いを書いたものだ。
始まりから段々盛り上がり、
クライマックスにヤマに達して終わる、
という曲線で、どこかに小ヤマをつくる、
というものが多い。
原理的には理解できる。
ヤマをいくつか作ればいいのか、
と構成を考える役には立つ。
しかし実際にはヤマは書けても、
ヤマじゃないところを書くのが難しい。
で、ヤマに来る前に何を書けばいいのか、
分からなくなるのである。
で、疎と密を意識したほうがいいと思う。
ストーリーの濃いところを密、
ストーリーの薄いところを疎、
と考える。
濃い、密とは、
リズムが早い、危険度が高い、
人の意識や集中力が濃い、
人生の勝負の瞬間、
色々な人の思惑が同時に決定しそう、
こちらが立てばあちらは立たず、
複雑な状況、一気に進む大きな流れ、
などなどだ。
薄い、疎とは、
ゆっくりした展開、人の心や反応をじっくり描く、
空気をつくる、お喋りで人のある面を明らかにしてゆく、
軽い笑いの部分でリラックスさせる、
ここがどんなところか探る、
ほっとする、ひと休み、
などなどだろう。
ストーリーというのは、疎と密の繰り返しだ。
疎から密に、蜜から疎に、
それらを繰り返していく。
疎だけだといずれ退屈になるし、
密だけだと疲れる。
そのペースが丁度いいのが、リズムのいい映画だと思う。
人間の集中力は、退屈でも5分程度までは我慢がきくが、
興味を失うとそれ以上もたない。(人によれば1分もたない)
また、凄く集中しても15分が限界なので、
それが終わっても興味を持続させるには、
チェンジオブペースが重要だ。
疎と密を意識することは、
一度に一連で見るものとしての映画
(一時停止しないもの、章立てしないもの)を
どういうテンションで見せていくかを意識することだ。
最終的には生理的なリズムで、という結論になるけど、
自分で書いてるときにはそこまで俯瞰出来ないものだ。
今疎だと意識すれば、その疎はいずれ終わって密になってゆく、
今密だと意識すれば、密が終われば疎の準備をする。
そうやって疎密を意識していくと、
書き続けられるのではないだろうか。
最近これを意識すれば、
書きやすくなったので参考までに。
2016年01月02日
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