2016年01月02日

疎と密

盛り上がり曲線みたいなものを、
脚本の教科書によく見ることがある。
直感的には分かりやすいけど、
自分が書く分には全く使えない。

疎と密で考えたほうがいいと思う。


盛り上がり曲線グラフは、
横軸に時間(開始から終了まで)、
縦軸に盛り上がり度合いを書いたものだ。

始まりから段々盛り上がり、
クライマックスにヤマに達して終わる、
という曲線で、どこかに小ヤマをつくる、
というものが多い。

原理的には理解できる。
ヤマをいくつか作ればいいのか、
と構成を考える役には立つ。

しかし実際にはヤマは書けても、
ヤマじゃないところを書くのが難しい。
で、ヤマに来る前に何を書けばいいのか、
分からなくなるのである。


で、疎と密を意識したほうがいいと思う。

ストーリーの濃いところを密、
ストーリーの薄いところを疎、
と考える。

濃い、密とは、
リズムが早い、危険度が高い、
人の意識や集中力が濃い、
人生の勝負の瞬間、
色々な人の思惑が同時に決定しそう、
こちらが立てばあちらは立たず、
複雑な状況、一気に進む大きな流れ、
などなどだ。

薄い、疎とは、
ゆっくりした展開、人の心や反応をじっくり描く、
空気をつくる、お喋りで人のある面を明らかにしてゆく、
軽い笑いの部分でリラックスさせる、
ここがどんなところか探る、
ほっとする、ひと休み、
などなどだろう。


ストーリーというのは、疎と密の繰り返しだ。

疎から密に、蜜から疎に、
それらを繰り返していく。
疎だけだといずれ退屈になるし、
密だけだと疲れる。

そのペースが丁度いいのが、リズムのいい映画だと思う。

人間の集中力は、退屈でも5分程度までは我慢がきくが、
興味を失うとそれ以上もたない。(人によれば1分もたない)
また、凄く集中しても15分が限界なので、
それが終わっても興味を持続させるには、
チェンジオブペースが重要だ。

疎と密を意識することは、
一度に一連で見るものとしての映画
(一時停止しないもの、章立てしないもの)を
どういうテンションで見せていくかを意識することだ。

最終的には生理的なリズムで、という結論になるけど、
自分で書いてるときにはそこまで俯瞰出来ないものだ。
今疎だと意識すれば、その疎はいずれ終わって密になってゆく、
今密だと意識すれば、密が終われば疎の準備をする。
そうやって疎密を意識していくと、
書き続けられるのではないだろうか。

最近これを意識すれば、
書きやすくなったので参考までに。
posted by おおおかとしひこ at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック