帰省して学生気分に戻り、
そういえばアイツどうしてんだ、と思い出し、
検索して驚いた。
映画サークルで後輩だった、山村たけゆう監督、
2002年に自宅付近で事故で亡くなっていたこと。
今更追悼もないけど、彼のことを語る。
大学時代にうろうろしていた京都を離れて、
19年になった。最後に彼に会ったのは、だから20年以上前だと思う。
哲学科で、気の触れた奴だった。
残響塾なる集団(多分一人)を作っていて、
とても難解な哲学用語を振り回したものばかり書いていた。
僕の嫌いな、落ちで落とさない、自主にありがちなタイプだった。
(僕の現在の落ち至上主義は、自主時代の反発があると思う)
もしかしたら本当に気が狂ってて、
映画や言葉でまとめることで、
意識をこちら側に繋ぎ止めようとしていたのではないか、
とすら思える作風だった。
しかし中二病だったのかも知れない。
気違いを演じることで、哲学的言葉を振り回すことで、
注目を浴びたかっただけなのかも知れない。
彼の残響塾HPはまだ残されているから、
ちらりとお邪魔すれば雰囲気は掴める。
どちらかは分からない。
話すときはまともで、饒舌だった。
自宅にナイフをコレクションしているような奴だった。
危ないのとナイーブなのと仮面が混ざっていたと思う。
僕は娯楽映画主義で、哲学的気違い映画なんて興味がなかったので、
制作体制的にはほとんど絡まず、
従って接点はなかったので、日常的に深く話したことはない。
けれど、全然違う流派だろうが、
同じ映画青年として、
気違い映画を作り続ける彼に、
仲間意識があったのは確かだ。
二年サークルをやるとなんとなく引退、
という雰囲気があったけど、
それでも映画を作り続けた監督は、
俺と奴ぐらい。後輩にも少しいたけど消息不明。
プロ監督になったのは、多分俺一人。
大学卒業したあと、活動を続けているのは、
僕の知る限り奴だけだ。
(監督として。
プロデューサーなら元フジの鈴木さんとかがいる、面識ないが。
演劇を続けてるのは、まだ二人いる。僕は同志みたいな心持ちになる)
なんかふらっとどこかで再会して、
お互い丸くなってから映画談義をするのだろうなと、
勝手にイメージしていて、
それが叶わぬ夢に終わったことは結構ショックだ。
享年30前後だから、そろそろ尖る作風が変化していたかと思うと、
惜しい。
渋谷アップリンクで、キチガイポップと称され、
一瞬特集されたらしいことまでは突き止めた。
賛否両論だったらしく、それはまあ分かる。
京都には様々なアンダーグラウンドの表現者がいて、
僕もその群れの中にいた。
今もいるかどうか分からない。
心の拠点だったほんやら洞は、去年火事で消失したことを知った。
デストロイアンドビルドが東京のやり方なら、
受け継いで無茶する、が関西のやり方のような気がする。
心の場所のようなものがなくなっていくのは辛いし、
若者にはそういう場所を提供してやりたいと思う。
独立したら「カンフーシューズ」という会社をつくる、
と入社時から宣言していたのだけど、
誰でも集える「縁側」という会社名にしようかな、
と最近思うようになった。
庭と縁側がちゃんとある、日本家屋の空き家を改造してやりたい。
事務所じゃなくて自宅兼になるのかね。
縁側で朗読とか、演奏とか、小さなパフォーマンスをやる人を呼んで、
軒下を貸して母屋を取られるような、
京都によくいたおっさんになりたいなあ。
昔の仲間が飲みに来たりしてね。
(ちなみに我らが自由が丘には、小樽食堂花火という、
そういう感じの飲み屋があります。
下北沢みたいなイメージといえば分かるかな)
その頃になって、ようやく山村と何でも話せるようになると、
老後の楽しみみたいに思ってたのだが、
神様はそうもさせてくれなかったみたいだ。
賛否両論のキチガイポップ。
それが彼が最後に呼ばれた名だ。
それはまだ「途中」だった筈の、名だ。
尖ったまま夭逝、というのは、それはそれで彼らしい。
(追記)
京都の友人と名乗る方から、コメント欄に存命情報を頂いた。
証言レベルで証拠はないので、
どちらがデマかはこちらから見て判別不能だ。
「山村たけゆう(故)」というのが、彼なりの冗談であって欲しいとは思う。
残響塾は2002年更新が最後のようだ。
ずっと残っているのは誰かが残しているのだろうか?
ここでは「生死不明、確認できず」としておく。
2016年01月03日
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ネットの情報を鵜呑みになさらない方がいいと思います。
この記事を真に受けている人に遭遇して、訂正するべきだと思いました。
死んでないならそれでいい。
死んだという情報がやつ特有の冗談であって欲しい。追悼上映なんてやつ特有の冗談だと言われれば納得もしやすい。
https://www.shibuyabunka.com/phone/soft.php?id=4312
たとえば「山村たけゆう(筆名)は死に、山村武由(本名)に戻ったのだ」
でも構わぬ。
ただ調べる限り生存情報はなかったので心配している。
京都に残る友人は行方を把握していない。
たとえば以下にも記述ありだが、「らしい」でしかなかった。
http://rrr.zenmai.org/d/?20090116
存命を確認できるものがあったら教えて欲しい。
記事訂正もしやすい。
Googleの仕様変更で情報を掘ることが難しくなった。
念のためbingとyahooで調べても同様。
本名で検索しても出てこない。
現在は東京で写真作家として活動されています。
存命情報ありがとうございます。
東京にいるなら酒でも飲みたいところだ。
本人見てたら連絡乞う。