性格設定の話、つづけます。
勿論、人間には矛盾した性格が同居する。
ああ言えばこう言う。
気分がちょっと違うだけでリアクションが真逆。
そんなことは当たり前だ。
問題は、その矛盾した性格と、
物語の進行が関係しているか?
である。
矛盾した性格が題材ならば、
それはとても魅力的な効果をもたらすだろう。
(見てないけど、インサイドヘッドとか)
あるいは矛盾した性格に振り回される側がメインの話にも、
効果的だろう。
(ワガママ女を好きになった男の話とか、
ワガママ上司やクライアントの世話する会社員の話とか)
そうではない場合、
物語の進行にとって、
矛盾した性格が邪魔になるときのほうが多いのではないかなあ。
たとえば勝負デートなのにすっぽかす、
という一見矛盾した行動でも、
「自信がない」という軸においては無矛盾だ。
つまり、人を行動させるのは、
性格ではなく、事情や思いのはずである。
性格は、やり方とか、あるものごとをどうとらえるかといった、
静的なものにしか使えないんじゃないかなあ。
いつも僕は、物語とは動的であると言っているが、
どういう事情(目的)でどういう行動をとり、
その結果起こることにどう考え、
再び目的を修正し、どういう行動をとるか決めるのは、
性格よりも、
人生の目的とかそういうことの方が大きい。
そして、人生の目的ほどの大きな事情を扱うのが、
そもそも映画という物語である。
つまり、性格程度の小さな影響範囲よりも、
もっと大きな判断やうねりを描かなくてはならないのだ。
性格設定なんてガワなのだ。
矛盾した性格は、人間の魅力でもある。
物語の進行と同時に、そんな魅力が描ければ最高だ。
しかし、物語の進行は、性格からは生まれない。
何度も書いているが、物語は動機から生まれる。
残忍とか、一途とか、気分屋とか、二面性とか、堅実とかは、
行動パターンの好み程度だ。
動機から行動する、という大きな構造は同じで、
間の細かいルートが違うだけだ。
(勿論その細かいディテールに神は宿るが、
それはキャラクターの面白さでありストーリーの面白さではない)
性格設定の差でストーリーが変わってしまうレベルのストーリーは、
小さなストーリーである。
映画は、もっと大きなストーリー(事件、人生の危機)を扱う。
つまり、初心者が性格設定を気にすれば気にするほど、
ストーリーを構築することにエネルギーを割けず、
どんどん詰まらなくなる。
では、「その人物ならではのストーリー展開」というのはないのか?
僕の説だが、映画程度の短さには、殆どない。
その人物ならでは、は、
その人物の事情や立場や目的ならでは、だ。
その人の性格だけで人は行動を決めない。
決めるとすると、とても浅い人か、
その人の性格を皆が愛しているときしかないだろう。
ジェームスボンドが女を口説くのはしょうがない、
みたいな、皆さんご存知、でない限り、あまりおもしろくならないと思う。
(逆にいえば、長期連載では、あった方が愛される)
初心者にとって、性格設定なんて足枷だ。
どうせ全員自分なんだから。
キャラの違いよりも、
立場や目的の違いで大きく差を設けたほうが、
ダイナミックで危険のある物語になる。
(そうやってストーリーを作り終えたら、
性格設定やビジュアル設定でもっと差を作っていくのだよ)
2016年01月06日
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