2016年01月06日

人間は矛盾した性格があるが?

性格設定の話、つづけます。
勿論、人間には矛盾した性格が同居する。
ああ言えばこう言う。
気分がちょっと違うだけでリアクションが真逆。
そんなことは当たり前だ。

問題は、その矛盾した性格と、
物語の進行が関係しているか?
である。


矛盾した性格が題材ならば、
それはとても魅力的な効果をもたらすだろう。
(見てないけど、インサイドヘッドとか)
あるいは矛盾した性格に振り回される側がメインの話にも、
効果的だろう。
(ワガママ女を好きになった男の話とか、
ワガママ上司やクライアントの世話する会社員の話とか)

そうではない場合、
物語の進行にとって、
矛盾した性格が邪魔になるときのほうが多いのではないかなあ。

たとえば勝負デートなのにすっぽかす、
という一見矛盾した行動でも、
「自信がない」という軸においては無矛盾だ。
つまり、人を行動させるのは、
性格ではなく、事情や思いのはずである。

性格は、やり方とか、あるものごとをどうとらえるかといった、
静的なものにしか使えないんじゃないかなあ。


いつも僕は、物語とは動的であると言っているが、
どういう事情(目的)でどういう行動をとり、
その結果起こることにどう考え、
再び目的を修正し、どういう行動をとるか決めるのは、
性格よりも、
人生の目的とかそういうことの方が大きい。
そして、人生の目的ほどの大きな事情を扱うのが、
そもそも映画という物語である。

つまり、性格程度の小さな影響範囲よりも、
もっと大きな判断やうねりを描かなくてはならないのだ。

性格設定なんてガワなのだ。



矛盾した性格は、人間の魅力でもある。
物語の進行と同時に、そんな魅力が描ければ最高だ。
しかし、物語の進行は、性格からは生まれない。
何度も書いているが、物語は動機から生まれる。

残忍とか、一途とか、気分屋とか、二面性とか、堅実とかは、
行動パターンの好み程度だ。
動機から行動する、という大きな構造は同じで、
間の細かいルートが違うだけだ。
(勿論その細かいディテールに神は宿るが、
それはキャラクターの面白さでありストーリーの面白さではない)

性格設定の差でストーリーが変わってしまうレベルのストーリーは、
小さなストーリーである。
映画は、もっと大きなストーリー(事件、人生の危機)を扱う。



つまり、初心者が性格設定を気にすれば気にするほど、
ストーリーを構築することにエネルギーを割けず、
どんどん詰まらなくなる。

では、「その人物ならではのストーリー展開」というのはないのか?
僕の説だが、映画程度の短さには、殆どない。
その人物ならでは、は、
その人物の事情や立場や目的ならでは、だ。

その人の性格だけで人は行動を決めない。
決めるとすると、とても浅い人か、
その人の性格を皆が愛しているときしかないだろう。
ジェームスボンドが女を口説くのはしょうがない、
みたいな、皆さんご存知、でない限り、あまりおもしろくならないと思う。
(逆にいえば、長期連載では、あった方が愛される)


初心者にとって、性格設定なんて足枷だ。
どうせ全員自分なんだから。

キャラの違いよりも、
立場や目的の違いで大きく差を設けたほうが、
ダイナミックで危険のある物語になる。
(そうやってストーリーを作り終えたら、
性格設定やビジュアル設定でもっと差を作っていくのだよ)
posted by おおおかとしひこ at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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