2016年01月08日

映画における、モチーフ、コンセプト、テーマ2

この話、続けます。

追記にも書いたけど、
そもそも何でこんな話をしたかというと、
人によって、面白さの分析が異なるからだ。

面白けりゃなんでもいいわけじゃない。
プロの世界は合議制である。
そのとき、「何が面白いのか」について、
みんなバラバラのところを見ているのだ。


これは、
みんなが認める完璧な作品のときは、
どうだっていいことである。

問題は、あるところは凄くいいのだが、
全体的に良くないとき、
何が面白くて何が面白くないのか、
把握しない限り、
間違った手術をしてしまい、
台無しになることがあるからだ。

自分の作品を客観的に分析出来ない初心者はおいといて、
中級者上級者向けの話かも知れない。

自分の作品の面白い所は分かる、
しかし何かが足りない。
どう足りないかが分からない、
そういうときに、面白さの分析をしてみてほしい。


さて。
具体例があったほうが分かりやすい。
「キャプテンウルフ」を取り上げよう。

コンセプトがずば抜けて面白い。
「非日常を常とする軍人にとっての、
最も危険な非日常とは、
(我々にとっては日常の)赤ん坊の世話だった」
というコンセプトだ。
「逆」の発想の見本のようなアイデアである。

ここから考えられるお楽しみポイントは、
赤ちゃんの世話に屈強の軍人が困るさまである。
爆弾の解除ならお手のものなのに、おしめという爆弾の除去は泣きながらだったり、
どんな拷問にも耐える鉄の意志でも、子供の笑顔に負けたりなどが、
予測される。
(これはブレインストーミングでいくらでも出てくるだろう。
子守の唄が馬鹿馬鹿しい、と言うのは、
コントとしては微妙だったがこれが伏線になっていた、
など、脚本的にも技巧が高い)

そして勿論ここが売りになる。
主人公の軍人を演じるのは、
肉体アクションのヴィンディーゼルだ。
(シュワルツェネッガーもスタローンも、
マッチョ派が必ずやる定番コメディみたいなことだね)
当然、予告編にもその爆笑シーンが盛りだくさんだ。


しかし、このコンセプトの面白さに比べて、
モチーフの面白さも、テーマの面白さも、
てんでダメなのである。

モチーフの面白さは、
軍人の活躍パートのアクションシーンや、
後半のスパイアクション的な面白さに、
託した節がある。
学校に遅刻しそうだから車を爆走させ、
ターンしながら停車するカーアクションにも、
それは見られた。
しかし、ディズニーだから知れないが、
ヴィンディーゼルのいつものアクションより、
全然物足りないのである。
ここが血沸き肉踊らない限り、
モチーフの面白さは、小さいディテールになってしまう。
謎の忍者が変な武器使ってたりとかね。

ここは格闘術などを子供たちに教えるか、
軍隊の特殊テクニック(爆弾解除とか?)を教え、
それが効を奏する場面などの、
軍人ならではの面白さが、
ちゃんと見たかった所である。

今更ヴィンディーゼルの肉体美が拝めればオールオーケーではないし。

モチーフの面白さは、
一定数のファンを取る手もある。
○○さえ写ってれば満足、という人たちだ。

たとえばゾンビものなら必ず見る、
というコアなファンは必ずいるし、
ヤクザものやアクションものは、
ストーリーの出来に関わらず一定の売り上げがある。
爆発しさえすりゃいい感じだ。

したがって、モチーフの面白さは、
最もIQの低い人間が口を出しやすい。

たとえば、「いけちゃんとぼく」の映画化のときは、
「子供とお化けというビジュアルで、売れるわけがない」
という反対意見だらけだった。
お前ら脚本を読んだのか。否、原作読んだのか。
「子供物のふりをしたラブストーリー」というコンセプトを理解せず、
そのモチーフを面白いかどうかで判断する、
そこには断絶的すれ違いがあった。

まあ、「戦車vs時代劇」(戦国自衛隊)、
「日本中の妖怪が入り乱れて戦う」(妖怪大戦争)などの、
ぶっ飛んだモチーフで面白い、
と思う人にとっては、「お化けと子供」は地味に見えるのだろう。
先行作品に「花田少年史」があるが、
プロデューサーすらもが、この先行作品の興行的失敗について、
なんら分析していないことは驚いた。

あるいは、邦画界では長らく「海ものはヒットしない」というジンクスがあり、
海猿がそれを覆したことは有名だ。
海ものというモチーフが、サーフィンものや沖縄もの、ダイバーもの、
まで含むかどうか分からないが、
それだけでレッテルを貼るのは、馬鹿の所業としか言いようがない。

モチーフは、一種の好みでもある。
誰もが好きなモチーフならヒットし、
好かれていないモチーフならマイナー、
そういう見方になる可能性が高い。

たとえば猫。
猫動画ならなんでもみんな好き、
という偏見がある。
じゃあトップクラスの猫動画をつくってみろ、
といざ考えても、ほんとは中々出来るものではないだろう。

つまり、売れるモチーフにすがって、
便乗したいのである。
逆に、便乗以外では、怖くて新しい商売など出来ないのだ。

何故シリーズものばかり作るのか?
何故原作ものばかり作るのか?
モチーフが既にヒットしたもの、という認識があるからだ。
猫動画みたいにね。

モチーフの便乗、というのは、
よく起こる現象だ。
山岳もののヒットは、
山岳ものばかり作ることになる。
ホワイトアウト、クライマーズハイ、銀色のシーズン、剣岳、岳、などなど。
映画の企画会議から公開までは一年以上かかるから、
便乗商法はあまり効果的ではないにも関わらずだ。

クリエイターなるもの、モチーフの被りは避けるものだ。
イミテイターが、便乗してくるのである。

トランスフォーマーは、ロボットのバトルが凄い、
それだけでヒットした。(内容はうんこ)
モチーフの面白さは馬鹿には出来ない。
しかしモチーフだけしか面白くないものは、馬鹿にしてよい。
たびたび例に出すのが、ペプシ桃太郎CMだ。
モチーフ(ビジュアル)はとても面白い。
それは目を楽しませるが、心を楽しませるものではない。


モチーフの中には、定番のストーリーを内蔵させているものもある。
古今東西の仮面ものは、
必ず仮面で別人になり、最後に正体を明かすストーリーがセットになる。
スパイダーマン2ですらそうだ。
仮面は具体的な道具だが、 嘘や変身もそうである。
プリティーウーマンは
「男が女を好み通りに変身させていく」という、
変形の変身ものだが、正体を晒すのは、
売春婦を差別する心のほうだった、という変形が加えられている。


銃(や武器)が出てくれば、ラストに誰かが誰かを撃つものだ。
車が出てくれば、チェイスに使われ横転爆発するものだ。
スカートが出てくれば、めくられるものである。
メインのモチーフでなくとも、
サブのモチーフにおいては必ずそうなるもの、
というストーリーが内蔵されている場合が多い。
猫なら、別れか行方不明か増えるかだね。

モチーフが一見面白そうなのに、
いまいち面白くないときは、そのモチーフが出てくれば当然出てくるもの、
のセットがなくて、不満が残るかも知れないよ。


モチーフは置換可能なこともある。
有名なのはマクガフィンだ。
ヒッチコックが、スパイが奪い合うのはウランだったとき、
上層部から原発の政治的問題がと言われたら、
即座にじゃあダイヤモンドに変えます、
と言ったのは有名だ。
「皆が奪い合うとても貴重なもの」という役割を持つ限り、
それらは置換可能である。
ルパン三世カリオストロの城では、
狙っていた「財宝」が、湖から現れた遺跡群だった、
という落ちがあった。

ウランなら放射能のストーリーが付随するが、
ダイヤモンドにはない。
こうして、付随するストーリーのありなしを見ながら、
モチーフの置換を考えると、
ストーリーにとって都合がいいかどうか分かるだろう。


「キャプテンウルフ」に戻るが、
魅力的なモチーフが足りなかったのが、
失敗の原因のひとつだ。
ガチョウとかちょっと面白かったけど、それっきりだったし。
ランボーのセッティングのように、
赤ちゃんグッズを用意するのはちょっと面白かったけど。



さて、テーマの面白さ。
テーマは、平凡すぎても面白くない(飽きた)し、
斬新すぎても面白くない(ついていけない)。
皆が一度は考えたこと、ぐらいにふわふわしているものがちょうどいい。
たとえば「戦争反対」「差別反対」「神は素晴らしい」
なんてどうでもいい。
(多くのCMがどうでもいいのは、製品がいいですよ、
というどうでもいいテーマだからである)
こんな見飽きたテーマに挑むときは、
人類の歴史を変える覚悟のときの作品だろう。

逆に斬新すぎても。
「私は死体姦が最高だと思う」というテーマで作っても、
まあ無理だろう。
車姦の人がネットで一時話題になったが、それはそれで特殊だ。

テーマは命題の形がいい。
ストーリーとは、一本かけて、
その命題を証明するようにつくるとよい。
(ただし、命題を一度も言ってはいけない。
そういうルールだと思え)

大抵は、
最初主人公になんらかの欠落があり、
冒険の過程で、それではいかんと何かを学ぶ。
そのことによって問題が解決し、
主人公の心の欠落が埋まり、変化する。
その学んだことがテーマである、
という形式を取ることが多い。

テーマは狙って作るのはとても難しい。
自分が作り上げたものから、気づき、掘り出して、
リライトで磨いていかないと、
うまく配置して機能させられない。
「いけちゃんとぼく」では、
逆からはじめた。「力で心は変えられない」だ。
じゃあ心を変えるのは何か、がテーマになる。
友達とか愛とか、とても普遍的なものに落としたつもりだ。
(原作のテーマに落とす為の、逆から創作したのだ)


「キャプテンウルフ」には、そのテーマがなかった。
過去記事でもそれは批判した。
父親を知らない、という折角テーマにまつわる設定があったのだから、
この映画は「父親になることを知る」で良かったと思う。
それが軍隊式教育という形式(早起きとか腕立て)じゃなくて、
「仲間を見捨てちゃいけない」とかの、
心のテーマだったら、相当グッと来たと思う。
「俺は父親に見捨てられた。だからお前らを絶対に見捨てない」というシーンを作り、
子供たちが弟妹たちを守るように変化していく、
のような話だったら号泣だよ。

演劇なんかやってないで、ストレートに行って欲しかった所だね。
「子供たちがそれぞれの問題を抱えていて、
それを解決していく(軍隊式に)」というコンセプトは面白かったのに、
それがテーマと無関係なコントにしかならなかったのが、
この映画の食い足りなさだ。



さて、ここまで来て、
モチーフとコンセプトとテーマは、
機能的に連動していなければならないことに気づくだろう。

あるテーマに落ちるように、
コンセプトは出来ているべきだし、
そのコンセプトが生きるような、
モチーフが選ばれているべきなのだ。


素人は逆にやる。
面白い!と思ったモチーフを狩ってくる。
そのモチーフ近辺で面白いコンセプトをつくる。
ここまでは大抵出来る。
しかし、それがどんなテーマを現しているかを作れないのだ。
仏つくって魂入れず、だ。
ガワから整えて、あとは中身がないんだよなあ、と悩んでいるのである。

逆だ。

先に魂ありき。
その為に面白いガワを利用するのである。


便乗を考えれば、素人の浅い考えはすぐわかる。
妖怪ウォッチが流行ったからといって、
どれだけ「妖怪もの」が企画されたか?
そして、妖怪ウォッチごと、全滅ではないか。
それはモチーフの面白さだけに頼ったからだ。
「沢山妖怪がいることが面白い」というモチーフの面白さだけだと、
それがネタギレになったらそれでおしまいである。
つまり、消費しておしまいなのだ。

妖怪というものは、何かの概念の擬人化だ。
そのうち飽きるよね。
あとはコンプリートするかとか、バージョンアップとか、
それぐらいだよ。
たしかビックリマンでも同じことやってたなあ。

元がオモチャだから、
コンセプトもテーマもない。
だから、波はすぐ引いていった。



モチーフ、コンセプト、テーマは、
単独でも存在可能だ。
ビックリマンシールや設定書、写真は、モチーフの面白さ。
機能的なものや新しい動きや対比などは、コンセプトの面白さ。
テーマの面白さは、たとえば論文や演説にも存在する。
これらは別の次元の面白さである。

しかし、映画はそれら全てを含み、
なおかつ、三位一体でなければならない。
ひとつのテーマという魂が、
コンセプトやモチーフという、別次元の面白さに、
きちんと化けなければならないのだ。


面白い映画を作るのが何故難しいか?
それは、まずそういう三位一体を作ることが難しいことと、
何かが足りないときに、
よくわかっていない人によって、
本質と違う方向に曲げられ、
助かったはずの患者が息の根を止められがちになるからだ。



ドラマ風魔はイケメン大集合、のようなモチーフ売りだった。
コンセプトの面白さである「表で試合、裏で死合い」は、
恐らく宣伝部の誰も上手く伝えていない。
(だから俺はOPに、6話編集の作業段取り無視して、
シンクロをぶっこんだ。本来2話までの絵で繋ぐ段取りだった)
そこを上手く伝えれば、もっと売れたと思うんだあ。
いまだにイケメン大集合で、細々と売れてはいるが、
じゃあテニミュやとうらぶのイケメン大集合に比べて、
今回の趣向は何が違うの?に答えられる、
相当エッジの効いたコンセプトだと思うのだがね。

ちなみに、今の体制では、上層部に僕の意見は伝わらない仕組みになっている。
そして売るのは彼らだ。僕らが作った商材を、好きなように売るだけなのだ。
映画の本質について、
もっと議論を深めて理解すべきだと思う。
ということで、
とりあえず僕の考え方をこの辺で発信してたりする。
posted by おおおかとしひこ at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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