ネタバレにつき。
僕は、ラストシーンで、
振り向いたルークがこういうのだと予測して身構えていた。
「よくここまで来た、レイ。
いや、レイ・スカイウォーカー。
私がお前の父だ」
そうでもない限り、
ただのジャンク屋があそこまで腕っぷしが強く、
ブラスターが当たり、
ルークのライトセイバーを使える理由が分からない。
幼少の頃はアナキンそっくりだし、
おそらくあの切り返しにはルークがいたはずだ。
そして彼女はその血筋を知っていた。
だから多くを語らなかった。
故郷の星に迎えに来ると信じた人こそ、
父ルークのはずである。
そうであれば、
あの詰まらないご都合主義の脚本にも耐えられたというものだ。
ラスト、ルークがフードを脱ぐ様は、
アレックスギネス演じる、オビワンケノービそのものだった。
(おそらく意識しただろう)
だからこそ、そのフォースの物語が続くことを高らかに宣言する、
スカイウォーカー一族の主人公、 という出落ちだと、
僕は身構えていた。
だから姓のない、レイという名なのだろうと。
ところが、何もなく「つづく」。
はあ?なにこれ?
映画はアトラクションではない。
人間ドラマである。
スターウォーズ789が存在する、と言われたとき、
それはルークの子供「たち」の物語になる、
と言われた筈だ。
だからハンソロの子供=カイロレンと、
ルークの子供の、
暗黒面と光の面との二項対立が、
今回のモチーフ(テーマではない)だと、
予想していた。
フォースの暗黒面とはなにか、
について、123を見ても結局さっぱり分からない。
残虐さなのか自分勝手なのか、
性格が悪くなることなのか。
力を制御しきれないことでもないようだ。
暗黒面に落ちることが、黒いフードを着る以外の何か分からないから、
いつまでたってもスターウォーズのテーマが分からない。
暗黒面=悪と言いたいのだろうけど、
いつまでたっても悪いことしないんだよねあいつら。
キックアスの敵のほうがよっぽど悪だぜ?
悪と正義の話にしては、
カイロレンが悪に落ちた様が描かれていない。
不良息子が父親に突っ張る話でもなかった。
人間ドラマがない映画は映画か?
ディズニーは、
毎度毎度異世界SFを大金をかけて作り、派手にこけてきた。
ジョンカーター、トゥモローランド、トロンレガシー。
その怨念がようやく果たされたのか?
どの異世界にもあるビジュアルの中の、
ポリゴンモデルが、ミレニアムファルコンやXウィングやタイファイターに、
置換されただけのものでしかなかった。
映像的には興奮するよ。
しかしそれで終わりだ。
僕はSWリアルタイム世代だし、
Ep1のときはチャイニーズシアターまで行ったよ。
だから、
ミレニアムファルコンが出てきたときは涙が出たし、
あの銃座だけで号泣だ。
ハンソロにもチューバッカにも会えたし、
レイアオルガナにも会えた。
ルークがフードを取った瞬間の号泣は、
俺ホントにスターウォーズを愛してるんだなあ、
と寒くなったぐらいだ。
だけどそれだけだ。
オリジナルモデルを使ったアトラクションでしかなかった。
デジタルの幽霊だよあれは。
ディズニーは、実写大作SFがなぜこけたのか、
反省会をしていないのではないだろうか?
金をかけた凄いアトラクション映像をつくるだけでは、
客は喜ばないことを、何故学習しないのか?
今回のポリゴンモデルをスターウォーズという既存のものにしたお陰で、
こけなかったと考えているのだとしたら、
その浅さに、空恐ろしくなる。
何か凄い映像体験(それはストーリーではなく戦闘シーンのこと)をさせて、
そこに出てきたキャラクターグッズを売り、
市場を作ること。
ついでにランドにライドを作ること。
つまり、キャラクタービジネス。
そのキャラクター違いで、
パイレーツオブカリビアンが、
スターウォーズになっただけだぜこれ。
つまり、スターウォーズは、
ディズニーというキャラクター屋に買われたのさ。
橋本治が昔スターウォーズ(オリジナル1、現Ep4)
についての文章で、彼が最も好きなカットは、
ルークが大学進学をダメだと言われ、
二つの太陽が沈む所で落ち込むカットだと書いていた。
それは、ルークが唯一人間だったところだ。
年頃の高校生が、現実の壁にぶち当たり悶々としている、
青春映画並の鬱屈。
つまり内的問題である。
この内的問題(何者かになりたいこと)こそ、スターウォーズ1がアトラクションではない、
映画たるゆえんだ。
そんなもの、エピソード123にはひとつもなく、多分56にもない。
そして、7にはなかったし、89もないだろう。
ストームトルーパーが裏切るとか、
ビームがフォースで止まるとか、
太陽からエネルギーを貰うとか、
なかなか面白い趣向はあったよ。
あったけど、それは全部アトラクションだ。
中身のない、ただのガワだ。
アトラクションは映画か?
断固否定する。
俺はこれを映画とは認めない。
俺が命を賭けて追求している、ストーリーは、
こういうことではない。
全否定。しね。
2016年01月11日
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