2016年01月12日

テーマは何か?(SW7批評5)

今更馬鹿馬鹿しいが、
スターウォーズのテーマって何だろう?


難しい言葉で考えなくていい。

勧善懲悪、ということでいいだろうか?

果たして6までの展開で、
悪はよろしくない、正義は勝つ、
と、我々は本気で思ったか?
むしろダースベイダーかっけえ、
しか残らなかったよね?

帝国が何故悪なのか、誰も何も言っていない。
理想的共産主義国(かつての日本のように)なのかも知れないぜ?

主人公が属する側が、属してない側と殺しあって、
勝っただけだよね?


あるいは、
「息子が父を乗り越える」だろうか?
たしかにルークは父親不在であった。
叔父さんも、ベンおじさんも、ヨーダもいたが、
不在の父こそが宿敵ベイダーだった、
というドラマチックな物語性が、
ルークの物語の根幹だ。

さて、で、ルークの物語は終わったのだから、
789の三部作は、別のテーマを描かなくてはならない。

で、7でそのセットアップをするべきだ。
セットアップとは、伏線を引くことではなく、
センタークエスチョンを提出することである。

789のセンタークエスチョンは何か?
「残党狩りは、成功するのか」か?
あまりにも詰まらなくね?

「フォースの覚醒」と銘打っておきながら、
モチーフとしてのフォースの覚醒は描かれたが、
テーマとしてのフォースの覚醒は描かれなかった。

テーマとしてのフォースの覚醒とは、
たとえば、
「フォースがあるから、人類は不幸になる。
フォースなど葬ってしまえばよい。
しかし何万人かに一人、突然変異のようにフォースに目覚める者がいる。
ファーストオーダーはそれを知っていて、
未然にそれを防ごうとしていたのだ。
何故なら、先の大戦のように、フォースは人類に必要なかった、
という反省があるからだ」
という話でもなかった。
(今適当にでっち上げただけなので、他のパターンでもいい。
つまりフォースとはなにか、どういう価値があるのか、
が主軸に絡むべきということ)

モチーフとして描いたって、意味がない。
テーマとして描かなくては、それはお話とは言えない。



さて、僕は公開前に、
789は兄弟の確執になる、と予想していた。
父子の物語が終われば、
そのあとを継ぐ者たちは分裂するのが常だからだ。
カインとアベル的なね。
レイとカイロレンが兄弟で、という訳でもなさそうだが、
まさか8のラストで「I am your brother」とかあったりね。

にしても、今回の7は、センタークエスチョン提示すら出来ていない。
内的問題がないのだから当然か。
むしろ、中二病のドラ息子が父を殺して目覚める、
という内的問題のストーリーしか、なかった。

つまり、今回の7のテーマは、
「父を乗り越える」だったのだ。
はあ?



ルーカスは、789は家族の物語になる、
と言っていたらしい。
それが面白いかどうかはおいといて、
まだストーリーやテーマについて、考えていたのかも知れないね。

テーマのない物語は、物語ではない。
ただの捨て体験だ。

何故なら、我々は価値ある体験から学ぶからである。
posted by おおおかとしひこ at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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