2016年01月13日

何故ハンソロ登場まで最高なのに、その後盛り下がるのか?(SW7批評7)

書き忘れていたので、追加。

僕は結構冒頭15分は楽しんだ。
ストームトルーパーの中の人から始める裏切り、
新ヴィランがビームを止めたかっこよさ、
ナウシカっぽいパクり(そういえば腐海でセラミック探してたよね)、
ミレニアムファルコンのニクイ登場、
激アクションからのハンソロ。
思わず拍手しちゃったぐらいだ。

それが、何故盛り下がったのだろう?


ハッキリ言おう。
この15分が、出落ちだからである。

つまり、出た時が一番面白いに過ぎないのだ。


映画脚本の冒頭15分がどれだけ大事か、
僕は今まで沢山過去記事に書いてきている。
何故大事かというと、
主人公の日常と内的問題、テーマの暗示(主人公の渇きなどによって)
などの、映画のラストで結ぶものの、係りの提示部だからである。

つまらない4コマ漫画を面白くする方法でも述べたが、
落ちとは、冒頭部に伏線がある。
冒頭で前ふったことが、いかに解決したかが、
落ちをつけるということだ。

当然のことながら、この映画には落ち、
つまり、この話がなんの意味があったのか、がなかった。
当然だ。
冒頭に、落ちへ前ふるべき、係りがなかったからだ。


アクションばかり走らせて、
アトラクション映像だけになり、
それが終わったら急に退屈する、
うんこ邦画を思い出すよね?
そう。うんこガッチャマンだ。

つまり、エピソード7は、
金のかかり方が尋常に違うだけで、
中身はうんこガッチャマンと全く同じなのである。


何故ハンソロ登場まで最高なのか?
最高の出落ちとアクションだからである。
何故その後盛り下がるのか?
ストーリーが何もまだ始まっていなかったからだ。

上手な脚本は、
アクションで度肝を抜きながら、
実はストーリーのセットアップ、
つまり落ちへの前ふり、係りをばらまく。
理想的なのは「マトリックス」だ。
冒頭8分はトリニティの尋常じゃない動き
(=マトリックス世界では思念が支配することの前ふり)
を見せながら、
ネオの登場ではテーマまで言わせている。
(この世界は夢なのではないか?
実際、その後夢だと分かり、それを救う救世主であることを受け入れるラストへ繋がる、
係りの部分だ)

あるいは脚本の教科書にも出てくる、
「刑事ジョンブック/目撃者」の冒頭部も素晴らしい。
あるいは、
「ゴースト/ニューヨークの幻」の冒頭部も、
全ての伏線を張っているすばらしい15分だ。
また「11人の怒れる男」の冒頭15分のセットアップの凄味については、
過去記事にも書いたよね。


これに比べ、
うんこガッチャマンもエピソード7も、
ドタバタと特撮アトラクション映像を見せただけで、
実質何もしていないのである。

だから15分も見ておいて、
話がはじまるのはハンソロ登場以後だ。
ところが、ここからハンソロのストーリーになってしまって、
主人公レイの話ではなくなってしまう。
だから、詰まらないのである。


この脚本家は、つまりは、うんこ渡辺雄介と同レベルの実力だ。
オイ渡辺、進撃なんてやってないで、ディズニーに売り込めや。
エピソード10の脚本家になって、世界中から刺されな。
posted by おおおかとしひこ at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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