書き忘れていたので、追加。
僕は結構冒頭15分は楽しんだ。
ストームトルーパーの中の人から始める裏切り、
新ヴィランがビームを止めたかっこよさ、
ナウシカっぽいパクり(そういえば腐海でセラミック探してたよね)、
ミレニアムファルコンのニクイ登場、
激アクションからのハンソロ。
思わず拍手しちゃったぐらいだ。
それが、何故盛り下がったのだろう?
ハッキリ言おう。
この15分が、出落ちだからである。
つまり、出た時が一番面白いに過ぎないのだ。
映画脚本の冒頭15分がどれだけ大事か、
僕は今まで沢山過去記事に書いてきている。
何故大事かというと、
主人公の日常と内的問題、テーマの暗示(主人公の渇きなどによって)
などの、映画のラストで結ぶものの、係りの提示部だからである。
つまらない4コマ漫画を面白くする方法でも述べたが、
落ちとは、冒頭部に伏線がある。
冒頭で前ふったことが、いかに解決したかが、
落ちをつけるということだ。
当然のことながら、この映画には落ち、
つまり、この話がなんの意味があったのか、がなかった。
当然だ。
冒頭に、落ちへ前ふるべき、係りがなかったからだ。
アクションばかり走らせて、
アトラクション映像だけになり、
それが終わったら急に退屈する、
うんこ邦画を思い出すよね?
そう。うんこガッチャマンだ。
つまり、エピソード7は、
金のかかり方が尋常に違うだけで、
中身はうんこガッチャマンと全く同じなのである。
何故ハンソロ登場まで最高なのか?
最高の出落ちとアクションだからである。
何故その後盛り下がるのか?
ストーリーが何もまだ始まっていなかったからだ。
上手な脚本は、
アクションで度肝を抜きながら、
実はストーリーのセットアップ、
つまり落ちへの前ふり、係りをばらまく。
理想的なのは「マトリックス」だ。
冒頭8分はトリニティの尋常じゃない動き
(=マトリックス世界では思念が支配することの前ふり)
を見せながら、
ネオの登場ではテーマまで言わせている。
(この世界は夢なのではないか?
実際、その後夢だと分かり、それを救う救世主であることを受け入れるラストへ繋がる、
係りの部分だ)
あるいは脚本の教科書にも出てくる、
「刑事ジョンブック/目撃者」の冒頭部も素晴らしい。
あるいは、
「ゴースト/ニューヨークの幻」の冒頭部も、
全ての伏線を張っているすばらしい15分だ。
また「11人の怒れる男」の冒頭15分のセットアップの凄味については、
過去記事にも書いたよね。
これに比べ、
うんこガッチャマンもエピソード7も、
ドタバタと特撮アトラクション映像を見せただけで、
実質何もしていないのである。
だから15分も見ておいて、
話がはじまるのはハンソロ登場以後だ。
ところが、ここからハンソロのストーリーになってしまって、
主人公レイの話ではなくなってしまう。
だから、詰まらないのである。
この脚本家は、つまりは、うんこ渡辺雄介と同レベルの実力だ。
オイ渡辺、進撃なんてやってないで、ディズニーに売り込めや。
エピソード10の脚本家になって、世界中から刺されな。
2016年01月13日
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