2016年01月13日

じゃあどうなら良かったんだよ?(SW7批評8)

とりあえずボコボコにしたので、建設的に。
暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう。

どうすればSW7は「映画」になったのだろうか?


過去記事の
「お話を最後まで書く方法1,2」(2015.1.9)を参照されたい。

主人公に「目的」をつくり、「結末」を用意するとよい。

現状では、レイの目的がさっぱり分からない。
「誰かを待っているが、来ない」縛りの中で、
「行きずりのBB8を助ける」しかない。
彼女の目的は、一貫して(?)「帰ること」である。
そしてそれは、結末で果たされていない。
ほとんどエタり小説のようだ。


映画とは、目的に至る動機に感情移入して楽しむものだ。

彼女が「どうしても待っている人がいるから帰りたいの!」
と言う様に、「そうだ!彼女を帰らせてやるんだ!」
と我々は涙を流さなければならない。
で、そんなわけないやんという出来だ。

ということで、
彼女の目的を「待つために帰る」とするならば、
そこに我々が号泣する動機や事情を示さねばならない。

残念ながら、それは「親を隠す」という方針?の為、
描かれることはなかった。
だから僕は、批評1で書いたラストシーンが、
彼女の動機を明らかにし、そこに感情移入させ、
なおかつ彼女の目的「待つ人に会うことの結末」を、
全て果たすシーンとして機能すると予測したのである。

で、無能な人がそれを書けなかったのだ。


通常の文法ならば、
彼女の心の傷になっている捨てられたシーンがある
→どうしてもこの場を動けないという事情を説明するが、
否応なく事件に巻き込まれる
→その途中で、捨てられた真意が分かってくる
→待つ必要はなかった(その人は死んでいた)
→旅の途中で仲間になった奴の為に、命を賭けて闘う

あるいは、
その人は生きていて、今ファーストオーダーに捕まっている
→救出作戦に参加
→その人に会う

となるだろう。

そうすれば、少なくとも今回あった要素の中で、
「始まって終わる」話は、書けたことになる。

あるいは、通常文法でなく、
ラストシーンで全て明かして鳥肌をたたせる、
僕の書いたバージョンもあり得る。


さて、問題は、この筋が面白いかどうかなんだよ。

たとえば「母を訪ねて三千里」なら分かる。
子供だから。

レイの年齢設定はいくつなのだろうか。
14歳ぐらいなら分かる。
しかし18以上だよねあれは。
恋愛経験はどうなってるのか。
そもそも人間関係は?
彼女の友達や支援者は?
天涯孤独とはいえ、ホームレスじゃないんだから。
いや、ホームレスでも横の関係は作るものだぜ?

食糧調達する場で、バイクのメンテやオイル交換はしてたはずだから、
その人間関係もあっただろうに。

つまり、彼女の人間的描像が、点なのだよ。
人間は線として存在する。
それはつまりバックストーリーということだ。
哲学的な問題ではなくて、
脚本では、
それを利用して話を進めることで、
実在感を増すテクニックなのである。

18を越えてそうな女が、
人間関係を一切持たず、ジャンク集めでその日の食糧を調達する生活?
リアリティーがないよね。

仮に、14歳の少女の話なら成り立つ。
バイク屋の親父や、実は彼女のことが好きなその息子もいそうだ。
その人物を使って、普通は話を進めるのだ。

(ここに、現代の脚本家の心の闇を見ることが出来る。
現代人は孤独だから、群れとしての生活をしてなくて、
群れとしての生活が前提の映画を、うまく書けないことが多い。
で、本当には孤独の生活をしてないので(ネットで繋がるから)、
本当に孤独生活のリアリティーも書けない。
実際の所、協力者なしで人間が一人で何年も生きるのは、不可能だと僕は思う)



ということで、18越えた女が、
一人で恋人も友達も作らず、親?を待ち続けることに、
僕は感情移入が出来ない。
リアリティーを感じられないからだ。
リアリティーを感じるような要素を足さないと、
親?を待つ物語に感情移入し、その結末に本当に良かったねえ、
と感動することは出来ないだろう。


さてどうしよう。
ルークの娘である、という解は批評1で示したので、
別解を。


待っているのは恋人だとしよう。

親に捨てられ奴隷商人に育てられた少女が、
少年と脱出に成功した。
二人は蜜月を過ごしたが、追手が来た。
少年は右腕を切られ捕まり、彼女を逃がした。
しかしその時彼は、「必ずいつもの場所にたどり着くから、待ってて」と
言い残したとしよう。

そうすれば、彼女が待ち続けることに、
感情移入に値する理由が出来るというものだ。

ついでに、少年はその後、宇宙海賊に再発見される。
さらわれた息子よ、ついに探し当てたぞと。
少年の名はカイロレン(奴隷名)。
本名○○ソロだったのだ。

ということまで作っておけば、
あとは今回の話が面白くなるだろう。
クライマックスで右腕がサイボーグの、十字剣の男と、
運命の再会をすることになるからである。
その時彼らがどうするかは、結末を決めれは決まる。
フォースにみいられた男と、
フォースを目覚めさせられた女の、
運命の三部作、という体にも作れるだろう。


また別解。

僕はずっとレイとカイロレンは兄妹だと思っていた。
ハンソロの息子、というのは嘘で、
ルークの息子と娘で、養子だったのだと。

カイロレンがダース・ベイダーの血を色濃く引き、
レイはルークを継ぐと。

兄を越える話に、大きくはなる。
エピソード7では、
出自を明かされておしまいになる程度だろうけど。


つまり。
レイの人間関係にまつわるストーリーと、
カイロレンの人間関係にまつわるストーリーを作り、
それをクライマックスでもつれさせ、
決着をつけさせれば、
何でもよいということになる。

あとは、好みで変えればよい。


で、この三部作のテーマってなんだっけ、
ということになるのだよ。

テーマは主張ではない。
話をまとめる為のひとつのテーゼだ。
今回も、勧善懲悪でもいいと思うよ。
もう少し進めて、
「個人的事情を善悪より優先することが悪、
個人的事情より善悪を優先することが善」みたいにしてもいいと思うけどね。

とすれば、レイとカイロレンが対比的に描かれ、
それぞれの性格や個人的価値観の優先が異なることが、
うまく、テーマに結び付いてくると思う。

(ここまで書いてて思ったが、ドラマ風魔の二つの陣営の立場に似てた…)
posted by おおおかとしひこ at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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