2016年01月14日

主人公は誰?(SW7批評9)

まだ書くことがあった。
僕はそれだけSWを愛して、とても失望しているのだと、
自分でも驚いている。
究極の王道であってほしかったのだなあ、俺は。

さて、前記事で、主人公をレイとし、
敵対者をカイロレンだと仮定して、
リライトのアイデアを示してみた。

ほんとに主人公はレイなのか?
僕は、レイは、メアリースーだと思うんだよ。


メアリースーについては多くを語るまい。
三人称文学を書くのに未熟な人が陥る、
他人と自分の区別がついていない状態だ。

主人公を自分だと勘違いするゆえに、
何故か最強の能力持ちで(全能感)、
何故か都合よく話が進む(苦労するのは嫌)。

このブログでは、メアリースーに対して徹底的に斬っている。
過去記事を参照されたい。


さて、レイはメアリースーだ。
とすると、この話の主人公が見えなくなってくる。

どうやら、ハンソロではないか、という仮説が出来上がる。
正確に言えば、ハンソロとカイロレンの、
二人の物語であると。

冒頭15分がなくても話は成立する。
アトラクションが一通り終わってからが、
本当の話のはじまりだ。
そこで最も行動するのが、ハンソロだからだ。
そして、対するカイロレンには、
今作中もっとも心の葛藤が大きく描かれている。
(ちゃちな葛藤だが、相対的に最も大きい)
主人公の資格は、内的葛藤が最も大きいことだ。
我々は、物語の中で、主人公の心の中が一番の関心事になるからである。

ということで、最も最初に行動するハンソロ、
最も葛藤が大きいカイロレンが、
出会い、殺しあうシーンが、クライマックスである。

この物語のメインプロットは、
ハンソロ親子の、父殺しの話なのだ。

え?そのわりに面白くなくね?


フィンもポーも、レイも、
メインプロットではない。サブプロットである。
だからこの話は面白くないのである。

映画脚本理論的には、
結果的に、ハンソロ親子が主人公だと結論づけられるのに、
レイが主人公のふりをしてるから、
詰まらないのである。

主人公レイの物語が空洞で、
脇筋の方が主人公を食っている、という構造だから詰まらないのだ。

さてここで、
少年漫画における、主人公の空洞化(空気化)について、
論じなければならないが、
これは一度徹底的にやったので、風魔の監督メモをご覧ください。


つまり、

主人公レイが、空洞化したメアリースー。
脇筋のハンソロ親子が実質の主人公だが、ペラッペラに薄い話。
冒頭から出ているフィンが主人公じゃなく脇筋。
冒頭から出ているフィン&ポーのバディが、冒頭で途切れる。
(ないなら冒頭のバディもなしでよい。
ちなみに、このシナリオにポーは不要だ。
じいさんがBB8に地図を託せばポーを削れる)

あたりが、シナリオの構造上の問題なのだ。

さて、僕はいまだにアクションのことや、
エピソード4に大まかな話が酷似していることについては、
何一つ言及していない。
それは、見たら分かる批判点だからだ。

脚本というのは、実は目に見えないストーリー構造のことだ。
見て分かることなどは批判の対象ではない。

僕は、もっと根本のストーリー構造の話をしている。
(見て分かることの批判もめっちゃしたいのに、我慢している)


一言で、この問題は言える。
この話の主人公は誰?

群像劇なのは当然だけど、
それでも、主人公は一人と決めなければならない。
それは、映画のルールである。
(これについても過去記事を参照されたい。
糞群像劇を一本。「survive style 5+」をどうぞ)


エピソード7の最大の問題点は、
主人公が不在なことだ。

主人公とは、最も感情移入できて、
その人の問題が解決した瞬間、
私たちがスタンディングオベーションしたくなるものを言う。

エピソード7では、スタンディングオベーションがあったという。
それは、主人公レイの問題が解決したから?
ルークが出たからでしょ?
ルークが出るか出ないかに関わらず、
レイの問題が解決した!よかった!見事な話だった!
と、スタンディングオベーションしたくなるものが、
本当の映画の面白さなのだ。


(またまた自作品を引くけど、ドラマ風魔は、そうなっている)
posted by おおおかとしひこ at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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