2016年01月14日

死の覚悟

SW7批判も飽きたので、子供の相手はこれぐらいにするとして。

我々は何故物語を見るのか。
人生に意味を見いだしたいからである。

もしあなたが一週間後に死ぬとしたら、何をする?

恐らくそれをしたことで、
自分の人生はこういう意味があった、
と自分で意味付けてから死にたいだろう。

物語は、それに答えるのではないかと、
僕は考えている。


物語は架空の人の、
とある時点の始まりから、とある時点の終わりまでを、
追うものである。
とは言え、実質、その人の誕生から死を追っていることに等しいと、
僕は考える。

スピンオフとかシリーズとかない限りにおいては、
その二時間以外にその人の人生はないからだ。

つまり、擬似的に、
暗闇から発生したその人の人生は、
最後の暗転で終わる。
死ぬと同義である。

だから、その人の人生に、なんの意味があったかを、
我々は論じたり語りあったり出来るのである。


あなたがあと一週間で、
死ぬ前にやり、
自分の人生は意味があったと伝えるそれは、
何だろう。
どういう意味があった、と言いたいのだろう。
そしてそれは、言うことではなく、
何かをすることでしか伝えられないだろう。
言うてるだけやん、て思われるからね。
ほんまにやったんかそれ、て感心されないとね。


物語を書く者は幸いである。

架空の人の生から死までを書くことで、
架空の人の人生にどんな意味があったかを、
シミュレーションすることが出来るからだ。
しかも、
何本も何本も、
違う人間の違う人生の、違う死に方を、
シミュレーションすることが出来るからだ。

物語を読む者も幸いである。

それらを、何本も何本も体験することが出来るからだ。



自分の人生にどういう意味があったかを、
決めることはなかなかに難しい。
いつ終わりか分からないからね。
だから終わりを決めると、急に決めなきゃいけなくなる。
死ぬ覚悟をしないと、決められない。
一つに決めることすら迷うけれど。

架空の人の人生の意味も同じだ。
しかし、
その人の人生の死(ラストの暗転)までを描くことで、
その人の人生の意味を決めなければいけないのだ。
出来れば、たった一つに。
(たった一つは、強いから)


あなたは死ぬ覚悟があるか。
自分の人生の意味を決定する何かをするか。

物語を書くという行為は、それと等しい。

だからこそ、物語は人の心を揺さぶるのだと思う。



今書いている小説は、第二ターニングポイントが終わった。
最後の一文を、「千恵は、運命に挑む決意をした。」と書いた。
つまり、死ぬ覚悟をしたということだ。
それだけの価値を賭ける、冒険の意味とは何か。
主人公の人生に、どんな意味があったと、最後に言えるのか。

それがテーマであることは、言を待たない。
posted by おおおかとしひこ at 02:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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