予告や宣伝がうまく行かないのは、
こういう問題がある。
自分が落ちまで見て本当に面白かった作品は、
その落ちをネタバレしたくない故に、
「本当に良かったから見て!」
「騙されたと思って!」
としか勧めようがない。
でもそれは、数多ある糞作品の予告と、何が違うかの区別がつかないのである。
(勧める人を信用するかしないか、というのはある。
柴崎コウが帯にコメントした瞬間、セカチューがベストセラーになった現象は、
その現象だ)
どうやって、ネタバレせずに人に伝えるといいのだろう。
落ちを、内容を伝えずに、
「感動!」とか「泣ける!」とか「ほっこり、じんわり」
みたいに感覚だけで伝える方法がある。
しかしこれは、読後感を限定し、
幅のある解釈を狭めてしまう、
物語の可能性を殺すやり方だと思う。
「号泣率98%」などと結果だけ言われたら、
泣けたか/泣けなかったか、という二択しか感想がなくなる。
その二択の確認が、物語を味わう動機になってしまう。
それは、物語の狭い見方だ。
本来その物語が含む、
イマジナリフレンドとの別れ(他人とうまくやっていくこと)や、
深い愛情のあり方とは、
みたいな大事な所を完全に取りこぼすことになる。
ちなみにこの話は、「いけちゃんとぼく」の糞宣伝の話をしている。
結果だけ伝えるのは、勝訴とか、サヨナラホームランとか、
数学の中心極限定理や相対論のウラシマ効果とかの、
速報性の高いものだけでいい。
物語は速報ではない。
起こりと、途中と、結末を、順番に楽しむものだ。
勿論、糞作品ではないですよ、と保証するために、
感動作品だとか、勇気の出る作品とか、
ムードを保証することはやってもいいと思う。
結末に大どんでん返し、とか、僕は言ってはいけないと思うよ。
精々、驚愕のラストとか、ラスト15分の戦慄、
とか言うのはいいけど。
だってどんでん返しは、どんでん返しがあると知らない時、
最も効果を発揮するのですもの。
僕は、一番いい物語の紹介の仕方は、
話の導入の面白さを語ってあげることだと思う。
こういう世界で、こういう内的問題と外的問題で、
こういう事件が起こり、解決が望まれていると。
そして第一ターニングポイントが起こり、
なんとこんな冒険に出なくてはならなくなったのだ、
という紹介である。
つまりは、一幕の骨子である。
一幕は導入であり、本格的な話は二幕以降だ。
だから冒頭30分放送したって、ネタバレでもなんでもないぜ。
(僕は冒頭30分放送、は愚の骨頂だと思う。
だって伏線を張ったりする部分は、
大体どんなんか知りたいということを考えると、たるいからだ。
そこを省いた見せ方のほうが、集中力をひける)
うまく構成された一幕は、
それだけで話に入っていきたくなる。
そして二幕のワンダーランドの一部の面白さや、
結末の感じの保証を、うまく伝えるのが、
これからそれを見たい人への、最大のサービスだと思うのだ。
最近、下手くそな予告編ばかりで、
映画に興味をなくしつつある。
これおもろいんか?と、信用できない。
(逆に予告編で判断してしまって、
見るべき名作を見逃しているのでは、という恐怖もある)
売りになる派手なことばかり見せて、
それだけのアトラクションばかりになっている。
お話を、ちゃんとつくろうよ。
お話へ、ちゃんと誘導してあげようよ。
事件の面白さ、展開の面白さ、結末の面白さを、
みんなで語れるようにしようよ。
それが、映画を作るってことなんじゃねえの?
と、いうことで、僕は映画「いけちゃんとぼく」は、
こう紹介するのがいいと思うんだよ。
いじめられっ子ヨシオには、いつの頃からか、
他の人には見えないふしぎな生き物「いけちゃん」がそばにいる。
いじめられたヨシオを、今日もいけちゃんは、
謎めいた言葉でなぐさめてくれた。
夏になる前の日、父が死んだ。
ヨシオは他の人よりはやく、大人にならなければならない。
大人になるってどういうこと?
いじめっ子を倒すこと?
ある夏に訪れた、ヨシオの成長の物語。
その時、いけちゃんが消える。
「わたしね、あなたが大人になる日を見にきたの。」
勿論、正体バラシなんてあり得ねえ。
あ、どんでん返しあるって言っちゃった。
ここを読んでる人は大体知ってるだろうから、いいか。
(ちなみに、宣伝部のやることに、僕は一切口出し出来なかった。
今でもあいつらに潰されたと思っている)
また自作だが、ドラマ「風魔の小次郎」を紹介してみよう。
かつての名門白凰学院は、ライバル校誠士館に追い抜かれ、
衰退の一途を辿っていた。
そこへ助っ人の、風魔忍者が派遣される。
破天荒でお調子者の、風魔の小次郎だ!
ところが、向こうにも忍者がついていたのだ。
夜叉一族だ。
それを知った風魔側は、風魔一族を集結させる。
ここに学園を舞台にした、
風魔一族と夜叉一族の、人知れぬ殺し合いが始まった!
忍術バトル!死に行く仲間たちの絆!
物語は伝説の聖剣をめぐり、
分裂劇へと進んで行く!
学園忍者活劇「風魔の小次郎」
新しい風は、君の心に吹いているか。
ついでに自作小説「てんぐ探偵」。
妖怪は、どうしていなくなったの?
人が妖怪を信じなくなったから?
実は、妖怪は山に逃げて怯えて固まってるんだ。
何故って?
新型妖怪「心の闇」が、都会に増えたからさ。
人の心が暗くなり、ぎすぎすしたり、病んでいるのは、
妖怪「心の闇」のせいなんだ。
妖怪がある日突然見えるようになった少年シンイチは、
肩に心の闇「弱気」が取り憑いていることを知り、
自力で心から外すことに成功。
それを遠野から来た大天狗が見ていた。
シンイチは大天狗の弟子「てんぐ探偵」となり、
人々の心の闇を斬る!
妖怪「なかまはずれ」「あとまわし」「上から目線」
「若いころ果たせなかった夢」「いい子」「どうせ」。
カタルシスが生まれれば、闇は消える。
自作だろうが他作だろうが、
作品と観客の両方の立場にたった、
バランス感覚が非常に求められる。
だから、予告編というものは、
若手や安い人や助監督がやるべきものではない。
ときに、本編以上に本編の本質を知る人がやるべきだ。
名作を上手に紹介出来たら、
それだけで客観的に全てを見られている、という証拠になる。
練習してみるといい。
2016年01月14日
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