まだやるのか。まとめをやっておく。
我々がこの糞映画から学ぶべきことは、
面白い映画には、
面白いストーリーが欠かせない、
という、ごく当たり前のことである。
その条件が、これまでの批評をまとめると、
見えてくる。
主人公が主軸のストーリーであること。
彼(彼女だけど)に我々は最も感情移入する。
彼は最初に目立って行動する人物で、
何かしら目的がある。
その事情や状況を知ったら、
思わず我々が感情移入してしまい、
その成否にどぎまぎし、
それが最後に果たせた結末に、拍手喝采を送りたくなるものだ。
そしてそれは、テーマを暗示する。
その目的を果たした結末が、
私たちの人生に教訓となったりするものだ。
ただ何かして何かしました、ではただの記録で、
それが意義あることだった、というのが文学だ。
それを見ることができて、観客は感銘を受けなければならない。
(ちなみにエピソード4だけが映画で、あとは映画ではない。
テーマは「何者かになりたい」だ)
冒頭の人間関係が、話を膨らませる。
そしてそれは、結末に係り結びすることで、
テーマを示す。
脇筋が邪魔なら、切る。
あるいは、主人公の主筋を脇筋以上に魅力的に変更する。
群像劇は、それでも主役を決めるべき。
主客の転倒をしないこと。
当たり前だけど、これが全部出来てて、
はじめて映画的ストーリー足り得るのだ。
何かが足りない映画を挙げたいが、
各論で一部挙げているので、そういう失敗作で勉強するのもいいことだ。
あと最後に。
アトラクションが悪なのではない。
アトラクションしかないことが悪だ。
見世物なんだから、アトラクションがあるのは最高だ。
出落ちもアトラクションだと思えば最高だ。
問題は、アトラクションと面白いストーリーは、
全くの別物で、両者は水と油ぐらい、
混ざらないことだ。
にも関わらず、
アトラクションも面白くし、
ストーリーも面白くしなければならない。
SW7は、それに失敗した作品だ。
ついでに、456123からの、シリーズを継ぐという役割も、
失敗していると思う。
映画脚本は、ひとつをクリアすればOKではない。
様々なことを同時にクリアしなければ、
面白い脚本にはならないのである。
2016年01月14日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック