2016年01月15日

どこを切っても同じ金太郎飴

というけれど、
いまどき金太郎飴、リアルで見たこともない人もいるだろうね。

どこを切っても同じ、ということはあり得ない。
ストーリーとは、変化のことだからだ。


たとえば5分単位で、映画をスライスしてみよう。

場所は同じではない。
時間帯も同じではない。
状況も同じではない。
焦点(今の心配事や興味)も同じではない。
主人公の気持ちもテンションも同じではない。
主人公の人間関係も同じではない。(同じところはあるかも)

3分単位ならどうか。同じのはあるかも。
10分単位なら、ほぼ全部違うだろう。

もし同じ部分があるのなら、
それは停滞しており、展開が遅い、
すなわち退屈する可能性が高い。


今仕事で「海街ダイアリー」を見ている。
どこをとっても金太郎飴で、イライラしている。
(またもや批評するかも知れない)

ジェットコースターにせよ、
とまでは言わないが、
状況は目まぐるしく、あるいは緩やかに、
テンポやリズムを変えながら、
変わって行く。
その変化に追随していくのが、
映画を見る楽しみだったりする。
お、次はそうきたか、なんてね。


あなたの書く話は、まさか一色だんご?
最低三色だんごにしてくれよな。
理想は、全シーン(80から100ぐらい)違う色のだんごだぜ。
posted by おおおかとしひこ at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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