前記事に関連して。
劇的な展開や、結果だけが存在するのではない。
派手な場面、たとえば、
爆発とかチェイスとかロボットとか、
雨の中別れようと言ったり雪の東京タワーの前で告白が、
劇的なのではない。
劇的な動機こそが、劇的な物語の必要条件なのだ。
これは、モンタージュ効果を理解すれば分かることだ。
クレショフのモンタージュ実験が示すように、
前の文脈が違うと、
あとに来るショットがまるで同じでも、
たとえ無表情のカットでも、
我々にとっては意味が変わって見えるのである。
たとえ同じ劇的な場面でも、
たとえばクリードのラストのボクシング試合でも、
彼の動機が、
「俺は過ちじゃないことを証明する」ではなく、
「勝っても負けても有名になり、アフィリエイトで副収入したい」
になったとしたら、
急にどうでもよくなるよね、あの試合。
逆に言えば、
たいした動機ではない、「アフィリエイトで副収入」では、
劇的な物語は成立しないのである。
海街ダイアリーがぬるくて眠いのは、
その動機がないからだ。
すずだけが、馴染まなきゃ、という動機があるぐらいで、
他の三人には劇的動機
(人生の目的ではなく、この劇の上での目的)がない。
だから、話がいつまで経っても始まらないし、
全くドラマチックでも、淡々としていながら深い物語でもなく、
薄っぺらい退屈しかないのである。
比較でクリードを出してみたが、
前記事にひっかければ、
自分を脅かされての闘いだ。
劇的な動機があるからこそ、
劇的な物語があるのである。
さて、あなたの物語の、主人公の動機は何?
「楽して誉められたい」は、メアリースー。
「この暮らしをずっと続けたい」なら、それが脅かされるべきだ。
「何もない」なら、それは劇に登場してはいけない。
「○○がしたい」。これは具体的で絵にしやすい。
それは、どれだけ自分を脅かされた上での動機だろう?
動機が出来れば、物語は半分出来たようなものだ。
残り半分は、それが実現するまでを書けばいい。
2016年01月19日
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