2016年01月19日

劇的な物語は、劇的な動機から生まれる

前記事に関連して。

劇的な展開や、結果だけが存在するのではない。
派手な場面、たとえば、
爆発とかチェイスとかロボットとか、
雨の中別れようと言ったり雪の東京タワーの前で告白が、
劇的なのではない。

劇的な動機こそが、劇的な物語の必要条件なのだ。


これは、モンタージュ効果を理解すれば分かることだ。

クレショフのモンタージュ実験が示すように、
前の文脈が違うと、
あとに来るショットがまるで同じでも、
たとえ無表情のカットでも、
我々にとっては意味が変わって見えるのである。

たとえ同じ劇的な場面でも、
たとえばクリードのラストのボクシング試合でも、
彼の動機が、
「俺は過ちじゃないことを証明する」ではなく、
「勝っても負けても有名になり、アフィリエイトで副収入したい」
になったとしたら、
急にどうでもよくなるよね、あの試合。

逆に言えば、
たいした動機ではない、「アフィリエイトで副収入」では、
劇的な物語は成立しないのである。


海街ダイアリーがぬるくて眠いのは、
その動機がないからだ。
すずだけが、馴染まなきゃ、という動機があるぐらいで、
他の三人には劇的動機
(人生の目的ではなく、この劇の上での目的)がない。
だから、話がいつまで経っても始まらないし、
全くドラマチックでも、淡々としていながら深い物語でもなく、
薄っぺらい退屈しかないのである。


比較でクリードを出してみたが、
前記事にひっかければ、
自分を脅かされての闘いだ。

劇的な動機があるからこそ、
劇的な物語があるのである。



さて、あなたの物語の、主人公の動機は何?
「楽して誉められたい」は、メアリースー。
「この暮らしをずっと続けたい」なら、それが脅かされるべきだ。
「何もない」なら、それは劇に登場してはいけない。
「○○がしたい」。これは具体的で絵にしやすい。
それは、どれだけ自分を脅かされた上での動機だろう?

動機が出来れば、物語は半分出来たようなものだ。
残り半分は、それが実現するまでを書けばいい。
posted by おおおかとしひこ at 12:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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