2016年01月21日

上手なリライトは、「それってこういうことだよね?」

リライトをするとき、
あなたは原稿を見ながらやることだろう。
しかしこれは、うまいこと行くときと、
行かない時がある。


うまいこと行くときは、
微視的な直しだ。

「が」を「は」にしたほうがいいとか、
句読点の打ち方を変えるとか、
台詞の順を変えるとか、
シーンの順を変えるとかだ。

しかしこれは微視的な直しにはとてもよいが、
巨視的な直しや、根本的な直し、抜本的な直しには向かない。
大を見ずに小を見ているからである。


原稿を一切見ずにやるリライトも、あるということを覚えよう。

それは理想の状態を思い浮かべ、
そうなるためには現在をこう変えるべきである、
と、現在をあまり見ずに判断することである。

その判断を一度したうえで、
原稿を斜め読みする。

すると、ここのブロックをバッサリ落とすべき、
などの勇断が出来るのである。


ある要求を自分にする。
理想はこうであるべきだろうと。

それをそのまま実現できないとき、
「それってこういうことだよね?」と、
全く別のやり方で答えてみるとよい。

それは現在の原稿を、大分無視したものになる。
それが抜本的な直しというものだ。

理想はこうであるべき、というのは、
形ではなく、目的や意味で伝えるとよい。
形がこうあるべき、と原稿を睨んでしまうからである。



話が抽象的なので、分かりにくいと思う。
つまりは、そういう抽象思考をしないと、
目の前の原稿を細かく直すしか出来なくなる、
ということなのだ。


今書いている小説で、
とても気に入っていたワンシーン、
原稿用紙5枚ぐらいをバッサリ切った。

それは、起1起2伏で、原稿用紙4枚5枚4枚となっていた、
起2のシーンだった。
ここは起1伏だけにして、
起伏の揺さぶりに集中したほうが、
話が面白くなると思ったからだ。
(しかも起1より起2の方が気に入っているシーンで、
しかし起ぶりは起1のほうが大きかった)

これを、
全体を起伏にしようと思って、
原稿用紙5枚の文章を眺めていても、
3枚以下に縮めるのが精一杯だと思う。
結果、労多くして益少なしだ。

なかなか5枚バッサリは勇気がいる。
目の前の原稿を見ているとね。


目の前の原稿は、視界を近視眼にする。
全体を見るときは、原稿を見ずに、
頭の中の全体像を眺めるべきだ。

あなたは、原稿を見ずに考えるといい。
それってこういうことだよね?と。
切るだけではなく、足したり変更したりするのも同じだ。
その決断を先にしてから、
具体的な原稿で、あとで実現しよう。
posted by おおおかとしひこ at 13:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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