2016年01月26日

ストーリーは、どこで不可逆になるか?

決定的なのは、第一ターニングポイントであるべきだと思う。


映画が始まり、
すぐには不可逆にはならない。

まず前提となる世界を示す。
主人公に何か特別なことが起こる(カタリスト)。
ここまでで約8分から15分。

カタリストが起こったとき、
すぐ戻ろうと思えば戻れる。
(謝罪とか、苦しさは酷くなるなどの、
なんらのペナルティが増える可能性はある)

だが主人公は前に進む。
それは現在を変える可能性を(無意識に)感じているからだ。

その後、決定的に後戻り出来ないことは、
まだ起こらない。
まだあの日常世界に帰れる。

不可逆な変化は、
主人公の内部から発生する。

非日常の冒険世界へ踏み込むことを決める、
第一ターニングポイントにおいてだ。

過去記事で、僕は第一ターニングポイントは、
言い出しっぺになる、と書いた。
つまりそうなれば、後戻り出来なくなるからだ。

冒険は、自分で出発を決めるものだ。
流されて強制されるものではない。
他人に流されて不可逆にされたとしても、
そこから世界を変えようとする決意は、
主人公から出ねばならない。
(そうでないと、ずっと流される主人公になって、
詰まらないからである。
流される受動的な主人公は、映画では最悪の主人公だ。
その例として「落下する夕方」を見るとよい。
典型的なメアリースーを見ることができる)

以降、ラストシーンまで90分、
常に不可逆な結節点がやって来る。
取り返しのつかないことだらけだ。
やり直しのきかない一発勝負の連続だ。
不可逆な決定が下されたあとも、
なお前に進まなければならないのが、
ストーリーだ。
(その推進力は、主人公の動機である。
動機が弱いと、前に進む気力がなくなり、
ストーリーが止まってしまうのだ)


ラストシーンにおいて、
はじめて主人公は、可逆で安心な、
日常世界へ戻ることが出来る。

つまり、映画のストーリーとは、
30分かけて不可逆な世界にこぎ出すことと、
90分間不可逆な世界を乗り越えて進むことと、
ラストに可逆な安心世界に戻ってきたことを、
描くとよい。

その境界点が、第一ターニングポイントと、
クライマックスの決着、ということなのだ。

不可逆な世界は、不安で危険だ。
戻りたいのに戻れない。
殆どの時間、3/4は、
主人公はこれからどうなるか不安であり、
その不安を自らの行動(と仲間の協力)で切り開かなくてはならない。

逆に、その3/4を、
可逆でいつでも戻れるものを書いているものは、
ストーリーではない。


あなたのストーリーがストーリーらしくないのなら、
退路を断ってみることをオススメする。
他力によって断たれてもいいし、
主人公自ら絶ってもいい。
どちらにせよ、前に進むしかないように、
話は進むだろう。

(だから、話を書いているとき、
作者はずっと不安な、不安症の人みたいになるんだよね。
みんなは90分で終わるけどさ、執筆に一ヶ月はかかるから、
一ヶ月不安なんだよね。
これに耐えられないと、話は面白くならないのだ)
posted by おおおかとしひこ at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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