決定的なのは、第一ターニングポイントであるべきだと思う。
映画が始まり、
すぐには不可逆にはならない。
まず前提となる世界を示す。
主人公に何か特別なことが起こる(カタリスト)。
ここまでで約8分から15分。
カタリストが起こったとき、
すぐ戻ろうと思えば戻れる。
(謝罪とか、苦しさは酷くなるなどの、
なんらのペナルティが増える可能性はある)
だが主人公は前に進む。
それは現在を変える可能性を(無意識に)感じているからだ。
その後、決定的に後戻り出来ないことは、
まだ起こらない。
まだあの日常世界に帰れる。
不可逆な変化は、
主人公の内部から発生する。
非日常の冒険世界へ踏み込むことを決める、
第一ターニングポイントにおいてだ。
過去記事で、僕は第一ターニングポイントは、
言い出しっぺになる、と書いた。
つまりそうなれば、後戻り出来なくなるからだ。
冒険は、自分で出発を決めるものだ。
流されて強制されるものではない。
他人に流されて不可逆にされたとしても、
そこから世界を変えようとする決意は、
主人公から出ねばならない。
(そうでないと、ずっと流される主人公になって、
詰まらないからである。
流される受動的な主人公は、映画では最悪の主人公だ。
その例として「落下する夕方」を見るとよい。
典型的なメアリースーを見ることができる)
以降、ラストシーンまで90分、
常に不可逆な結節点がやって来る。
取り返しのつかないことだらけだ。
やり直しのきかない一発勝負の連続だ。
不可逆な決定が下されたあとも、
なお前に進まなければならないのが、
ストーリーだ。
(その推進力は、主人公の動機である。
動機が弱いと、前に進む気力がなくなり、
ストーリーが止まってしまうのだ)
ラストシーンにおいて、
はじめて主人公は、可逆で安心な、
日常世界へ戻ることが出来る。
つまり、映画のストーリーとは、
30分かけて不可逆な世界にこぎ出すことと、
90分間不可逆な世界を乗り越えて進むことと、
ラストに可逆な安心世界に戻ってきたことを、
描くとよい。
その境界点が、第一ターニングポイントと、
クライマックスの決着、ということなのだ。
不可逆な世界は、不安で危険だ。
戻りたいのに戻れない。
殆どの時間、3/4は、
主人公はこれからどうなるか不安であり、
その不安を自らの行動(と仲間の協力)で切り開かなくてはならない。
逆に、その3/4を、
可逆でいつでも戻れるものを書いているものは、
ストーリーではない。
あなたのストーリーがストーリーらしくないのなら、
退路を断ってみることをオススメする。
他力によって断たれてもいいし、
主人公自ら絶ってもいい。
どちらにせよ、前に進むしかないように、
話は進むだろう。
(だから、話を書いているとき、
作者はずっと不安な、不安症の人みたいになるんだよね。
みんなは90分で終わるけどさ、執筆に一ヶ月はかかるから、
一ヶ月不安なんだよね。
これに耐えられないと、話は面白くならないのだ)
2016年01月26日
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