2016年01月30日

リライトでやりがちなこと

第一稿を書き直す。
足りなかった部分を補おうとして。

ついついやってしまう、リライトの誤り。

○序盤に余計な設定を足してしまう
○展開部に、キャラたちのほのぼのな日常を加えてしまう
○クライマックスを長くしてしまう
○後日談を長くしてしまう



○序盤に余計な設定を足してしまう

単に設定を増やすのは論外。
劇中で使わないものはカット。
続編への布石も不要。
まずは点からはじめられるように。

また、あとあと使う設定を前倒しで仕込む、
という考え方は間違っていない。
間違いは、設定が増えてしまうことだ。
当初の設定+新設定になって、
話がややこしくなっていることに気づこう。

最初からそんな複雑な設定の話に、
引き込まれるだろうか?

「設定を足す」という発想の時点で、
あなたは既に観客席側にいない。
「設定が増えて面倒」と思わなければならないのに。

あなたがやるべきことは、
シンプルで面白そうな設定を提示し、
それがうまくあとで再利用されること。
そのように上手に書き換えること。


○展開部に、キャラたちのほのぼのな日常を加えてしまう

キャラクターたちを愛しはじめると起こる。
展開部は、危険に満ち、常に不安でなければならない。
津波が起こったあとの避難所生活であり、非常事態だ。
本当にほのぼのするのは、ラストシーンのみである。
緩急をつける意図で、非常事態からの一時の平和、
という意味にするときは、
極端にほのぼのして、死亡フラグが立つものだ。

ということは、そんなほのぼのシーンは削除だ。
一幕の設定部でやるか、
三幕の後日談でやるか、
二次創作でやろう。

そのほのぼのシーンは、全ての話が終わったあと、
観客の頭のなかで想像される余韻の中にある。
ということは、多くを語らないほうが賢い。


○クライマックスを長くしてしまう

ついつい楽しくて長々とやってしまう。
クライマックスとは、極度に緊張があるべきものだ。
むしろ、作品中最大の緊張があるべきだ。
そんなすごい緊張は、何分ももたない。
椿三十郎のラストは一発で決めているではないか。
そういうシンプルな緊張と一撃での解決のほうが、
美しい。


○後日談を長くしてしまう

射精後はとっとと暗転して眠るべき。
映画は、男の生理的リズムでつくられる。
暗転したのちの、夢の中の余韻を楽しむのである。

後日談が長いときは、
台詞を全部カットしてみよう。
絵だけで語れないか検討するべきだ。
台詞を仮にアリにするとしても、
何が一番重要な後日談かは、
絵を見れば分かるように組むべきだ。



観客は、想像を楽しむ。
その隙間を、リライトではどうしてか埋めてしまうものだ。
もっと隙間を。想像の余地を。
隙間がないなら削ってでも増やせ。
削ることで本質だけ残せ。
posted by おおおかとしひこ at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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