2016年01月31日

魅力的な登場人物の作り方

イケメンとか美人なのが、人気になるわけではない。
カワイイとか個性的なのが、人気になるわけではない。
人間の魅力をそうだと思っているなら、
あなたは見た目でしか他人を判断していないし、
きっと他人を本気で好きになったことがないのだろう。

人間の魅力は、長所と短所のペアで決まる。


AなのだがBである、
と定式化してみよう。

たいてい、AとBは、逆の要素を入れる。

ツンデレが分かりやすいか。
A:他人の前ではツンツンして取っ付きにくい
B:誰もいない時だけ、デレデレ甘えてくる
だ。

しかし、
ツンデレという発明が現れたときはもてはやされたものの、
今では飽きられて、定番メニューのひとつでしかなくなった。
実は、反対の性質ABを、
ひとつの概念で表すことが可能だ。
「人見知り」で、である。
ツンデレは、人見知りを極端にした二極である。

つまり、ABがひとつの概念で示せるとき、
逆の魅力、ギャップの魅力をつくることは、
あまり意味がない。

人見知りだが、演技性人格
などのように、新たにAとBを設定してしまっても大丈夫なのだ。
(で、演技性人格も人見知りに含まれ…と、出来てしまうね)

長所と短所は、ペアでテンプレになっているものがたくさんある。

明るいけどさみしがりや、
熱血だけどおっちょこちょい、
優秀だがアスペ、
力持ちだがバカ、
清楚だがビッチ、
スケバンだが純情、
生徒会長なのに悪、
悪なのだが娘(妹、嫁)には頭が上がらない
などなど。

漫画っぽいね。
漫画は、これらの分かりやすいAとBを使う。

もう少しリアルに寄せてみよう。

仕事は出来るがオトコを見る目のない女
仕事はミスばかりだが、癒しポジション
仕事は出来るが不倫ばかり
普段地味な癖に、やるときはやる
仕事はテキパキするのに、部屋は汚い
完璧主義で優秀なのだが、一個でもダメだと切れる
情報通の癖に、自分のことだけは分かってない
美人なだけで仕事が出来ない
目立たないが、陰で努力している

など。
仕事は勉強や部活に置き換えてもいい。

さて、これは青年漫画ぐらいのキャラクター造形だ。
漫画よりはリアルに寄せているが、
テンプレといえばテンプレだ。


では実写映画のキャラクター造形は?

テンプレにないキャラクター造形をするとよい。

それが漫画っぽくなく、
リアルでありそうで、
なおかつ魅力的な、AとBのペアをつくるとよい。


たとえば、今書いている話では、
花好きであるが、(それ故)捨てられたまだ生きている鉢を拾ってきて、
家中植物だらけになっている主人公が出てくる。
完全にAとBが真逆ではないし、
「植物好き」というひとつの概念でまとめることも可能だが、
それでは表せない、少しはみ出した感じがある。
そのはみ出し加減が絶妙になるように、
描いていくのである。

そしてこれは、ストーリーに彩りを添えるだけでなく、
ストーリーの根幹に関わるように設定づけている。
冒頭で拾った鉢が、ラストに伏線だったと分かり、
それがテーマのイコンになるようにしている。

また、ひとつのAB軸だけでなく、
関連するCD軸を入れていくとよい。
捨てられた声を聞く力があるが、イケメンとは縁がないとか、
捕まえた旦那はいるが、捨てられたモテナイ男で毒舌である、
とかである。
微妙に最初のABに近いものを重ねて、
だが完全に重ならないようにしていくのだ。

ついでにその旦那は、
普段は面白いことしか言わないのに、仕事は真面目、
毒舌ばかりなのに、寝顔はかわいい、
などの軸を作ってある。


登場人物は一人ではない。
複数のネットワークで生きている。
それらのあれこれが面白くなるように、
魅力的な人物造形を作っていく。

というよりも、ストーリーを、
人物造形で彫りを深くしていくイメージである。


ABという逆を作る。ギャップでもいい。
漫画を避け、リアルに、かつ魅力を。
ABを一軸で言えるか?
それらに関連しながらもはみ出す、CD、EFなどの重層的軸を。
これらは、単体では存在しない。
ストーリーを深く、彩るための、人物造形であるべきだ。
キャラクターが一人だけ走っても、面白いストーリーにはならない
(面白いキャラクターにはなる)。



で、ここからがほんとの奥義。

僕は、今書いている話で、
上のような設定表を作っていない。
「花好きである」とか、わざわざ書かない。

あるものを見たときに花が先に目に入る、とか、
どの花がどこに咲くかで街の地理を把握している、とか、
好きな花の話をするときとか、
花の種類を、マニアックから小学校レベルまで愛しているとか、
旦那に必ずこれは○○よと教える、
何かの話をするときも、植物のエピソードを絡めて話す、
などの描写を重ねていくことで作っている。


僕が性格設定を否定するのはここだ。
「花好きである」という設定表から、
上のような具体的なエピソードを思いつけるならよいが、
そうではないだろう。
むしろ、この人の趣味や好きなことや人生の根幹には、
何がいるのだろうと深く考えることによって、
きっとこの人はこのような人なのだ、
という具体的なエピソードが、勝手に生まれてくるものだ。
僕は、性格設定という履歴書からは、
これらの血肉の通ったものは、生まれ得ないと考えている。

むしろ、エピソードありきだ。
この人の本質はどんな感じだろう、
とこの人の精神の中に降りていくことが、
その人に成り代わって行動したり判断したりすることである。
一種の演技なのだね。
人物を理解するエチュードだ。

で、造形と演技とストーリー進行を、同時にやっていく感じだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック