A「セックスしよ!」
B「わかった!」
となりがち。
人間のリアルな社会を考えてみたまえ。
自分の要求をいきなり他人に言って、
100%即決で受け入れられる場面などあるだろうか?
母親が子供を許すときと、
サービス業のときだけではないか?
主人公「好きだ!セックスしよう!」
ヒロイン「OK!」
なんてあるわけがない。
あるとしたらギャグか、美人局だろう。
(東京ラブストーリーのカンチは、
あり得ないそれを踏まえた台詞だ)
メアリースーが生まれる背景には、
「自分が否定されるのが怖い」という幼児的感覚がある。
だから即OKの台詞を書いてしまうのだ。
つまり、いきなり何かを頼んでも、断られる。
主人公「セックスしよう!」
ヒロイン「はあ?」
これがリアルだ。
それが100%だからこそ、
そうじゃないアプローチから入るのである。
「日曜日、暇?」とか、「美味しい飯屋見つけたんだけど」とかだ。
それがリアルな人間の台詞であり、
リアリティーというものだ。
相変わらずセックスに例えているが、
すべての説得や行動は、同じである。
いきなり頼んでも断られるから、
端から攻めていったり、
交換条件を提示したり、
あなたに得があるのだと説得したりする。
たまには脅すかも。
セールスマンの手口のようだ。
有無を言わさぬ正義や正論など、
現実にも物語の中にもない。
誰もが誰もの立場と文脈で、
最善の選択をしてきた結果が現在だ。
それぞれにはそれぞれの言い分と経験則と正義があるものだ。
そこに自分の要求を通すのが、
映画的行動である。
反発を食らうのがリアルというものだ。
そこで、どうやってその行動が最終的に実現するかを、
面白おかしく書くのが、
あなたの仕事なのだ。
人間のリアリティー、人間関係のリアリティー、
妥協点を見つけたり反発があったり、
離反があったり心変わりがあったり、
そのようなものを書くのがあなたの仕事なのだ。
それを書くにはどうすればいいだろう。
頭の中で、二人の立場や人格を創造し、
人形劇ごっこのように、しゃべらせるしかないだろう。
この時、性格はノーマルでよい。
性格の差よりも、
立場や目的や正義の差の方が、
判断に効いてくるからだ。
その大筋を作ってから、性格を調味料的に振りかけるとよい。
(性格によって判断が狂うほど、大人は馬鹿ではない。
勿論、性格による判断の傾向はあるが、
立場による経験などに裏打ちされているはずだ)
リア充になる必要はないが、コミュ障では、
一生自分の要求を通す経験を積めないかも知れない。
相手がいるなかでのコミュニケーションの経験がないと、
アドリブで会話していけないからだ。
会話はアドリブだ。
台詞もアドリブみたいなものだ。
今仕事で、
「旅先で妖怪に出会った女性が、
彼(彼女)に慰められて元気を取り戻す」というシリーズの6本の短編を書いている。
どういう悩みか、どういう出会い方か、
何を話してどう展開してどう元気を取り戻すか、
のバリエーションを、6個考えなきゃいけない。
勿論、被ってもダメだ。
女「落ち込んでるの」
妖怪「元気出せよ」
女「うん!わかった!」
になるわけがない。つまんないもんね。
そうならない、ハートフルな会話劇を書くことは、
そこそこ腕がないと書けないと思う。
二月末プレゼンだが、負けたら脚本は公開します。
勝ったら実制作して、御披露目します。
2016年02月05日
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