デジタルの創作は、アナログ創作の劣化だ。
アナログ創作が出来る人がデジタルを代替に使うなら、
大した劣化じゃない。
問題はデジタルネイティブだ。
デジタル創作は、創作の質を下げた。
気軽に創作の気分を味あわせる代替品にすぎない。
楽器を使えないやつが打ち込みをする。
デッサン出来ないやつがペイントする。
現像できないやつがフォトショにはしる。
原稿用紙に書けないやつがワードで書く。
地図を読めない奴がグーグルマップで迷う。
知識のない奴がググる。
一見クオリティに差がない。
差がないのは表面だけで、
人間の深いところが劣化しているのを、
デジタルネイティブは気がつかない。
楽に出来るからだ。
手足を使わなくて済むからだ。
創作は、手足をどれだけ使ったかで決まる。
人間の心には、手足をどれだけ使ったか分かる万歩計のようなものがついていて、
何となく読み取ることができる。
深いとか浅いという感覚だ。
苦労したものが深いとは限らないが、
楽したものはすべからく浅い。
つまりデジタルに出来ない部分が本当の創作だ。
シンギュラリティを前にして、我々人類は創作こそ人類の寄る辺だと考えるべきだが、
それはたかがAdobe製品よりも、深い領域の話であるべきだ。
(シンギュラリティは半分冗談だが、
人工知能研究は、ここまで機械、ここから人間という、
境界の研究でもある)
音楽は盤ではなくライブになろうとしている。
デジタルコピーじゃ出来ない、
手足をどれだけ使ったかに回帰しつつある。
音楽は人の本質に近い。
つまりは、人の本質はデジタルネイティブではない。
2016年02月07日
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