2016年02月08日

突き詰めれば

映画のストーリーというものは、
「いかに主人公が見事に問題を解決したか」
「それによって主人公がどう変化したか」
という二つの柱を、
いかに見事に面白く、鮮やかに、感情移入して、
新しく、しかも皆が納得する形で、
書けるかということに、
尽きると思う。


その主筋をメインプロットといい、
それ一本ではなかなかキャラのたった太い筋をつくることは困難なので、
脇の人物、サブプロットの力を借りるのだ。

サブプロットの存在理由は、
一人だけだと解決困難なセンタークエスチョンを、
無理なく解決に進める為である。
同時に、主問題の反証や傍証などの、
メインプロットとセットになることで、
メインプロットの議論を一層深めることにある。

メインプロットが上手く進まなくて、サブプロットに力を借りることもよくある。
しかし、サブプロットを複雑にすればするほど、
メインプロットと同時に解決することは困難になってゆく。
助けを借りようとして迷路に入るパターンだ。
こうなると誰もが納得する上手い解決はなくなってしまう。
長期連載ものによくあるね。

最近だと、ガンツの最終回は酷かった。
殆どのサブプロットを回収しきらずに、
メインプロットの解決も微妙エンドだった。
(解決とは、皆が納得する、ということだ)


映画のサブプロットは、通常2、3本だ。
そうでないと、話が複雑になり、
なおかつラストで一気に解決しづらいからだろう。
時々サブプロットの例で出す「トッツィー」は、
6本のサブプロットをラストで一気に解決しているという、
素晴らしい構成の脚本なので、
自分が書くとして、と思って研究すると、その凄さがよくわかる。
「12人の怒れる男」にしても、
メインプロットの裁判と、各人のサブプロットがあるようなものだ。



サブプロットについて複雑に考えると、
迷路に入る。
要するにどういうことだ、を見失う。

突き詰めて考えるとよい。
それが面白く書けてないのなら、
やっぱり面白くないのである。
posted by おおおかとしひこ at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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