2016年02月09日

会話劇のコツ

「今ここにないものの話題」をすること。


普段の会話を考えれば、
会話というものは、
「今ここにあるもの」
(手に持った道具、天気、髪型や服、料理、
目の前の景色などなど)のことを話すよりも、
「今ここにないもの」に関することが、
圧倒的に多い。

たとえば、昨日あったこと、過去にあった辛いことや楽しかったこと、
これからの予定のこと、
ここにいない人のこと(大抵悪口だが)、
新発売されたもののこと、
自説、感想、誰かの説の引用、
こないだ聞いた噂話、
などなどだ。

どれも、今ここにないものについて話している。
勿論、今目の前にあるものからインスパイアされて思い出す、
などもあるだろうし、
突然話したいことを話し始めたりすることもある。
(リアルなおしゃべりでは後者が多いね)

さて、「話すこと」とは本来的にこうなのだ。
つまり、「今目の前にないことを、
二人(かそれ以上の参加者)の頭の中に展開して、
想像しながら話を進めること」が話の本質なのである。

ところが、我々の創作物の中でのそれは、
そもそも一段階「今目の前にないもの」を作っている。
だから、会話劇というものは、
「今目の前にない、架空の場所の架空の人が、
その人の目の前にないことを話す」
という二段階「今目の前にないこと」をしなくてはならないのである。

慣れればなんてことないのだが、
初心者にはなかなか難しい。
会話劇が下手な初心者はとても多いからだ。
初心者は、一段階「今目の前にないこと」を作るのが精一杯なのである。


刑事ものや裁判ものを想像しよう。
彼らの会話は、今目の前にない事件の真犯人やその動機について話している。
ラブストーリーを想像しよう。
彼らの会話は、過去の傷や将来の二人の暮らしについて話している。
ホラーを想像しよう。
彼らの会話は、モンスターが誰を襲おうとしているのかの意図や、
脱出経路について話している。


つまり、初心者が想像できるのは、
「その時点」という点だから、会話劇が書けないのだ。
その時点だけの人間はいない。
過去があり、意図があり、将来の予測をしながら生きている。
つまり線だ。
それを忘れて、その場面に立たせるから、
その時点での中身のない人形になってしまうのだ。
たとえば90分のデリヘル嬢は、
その90分間は、過去や将来の線を断ち切って点になる。
それは人形に過ぎない。
初心者は、要するに90分のデリヘル嬢同士の会話しか書けないのだ。

対策は簡単だ。

登場人物の年表や履歴書を作るのは、比較的昔からある手段である。

こういう過去を経てきて今があり、
未来は物語がはじまった当初この方向を向いていた、
と設定する方法だ。
大きく言えばバックストーリーだ。

だがバックストーリーの危険は、
本編よりもバックストーリーのほうが面白くなってしまうことにある。
本編の面白さより、
ちょっとだけ挿入される過去のエピソードのほうが、
面白そうに見えてしまうことを、
あなたはコントロールしきらなければならない。

出来なかった例:うんこ実写ガッチャマンの、過去話。
また、スターウォーズも、壮大なバックストーリーをやろうとして失敗した例。
クローン大戦は、想像していたほうが良かった。
具体的な話で見ても面白くなかった。
ベイダー誕生の経緯についてもだ。
それは何故か?
具体的なエピソードより、設定だけのほうが想像が膨らむからだ。
膨らんだ想像は、具体的なエピソードより強い。
具体的なエピソードが想像を越えることは滅多にない。
「今日の合コンかわいい子来るって」と言われて想像したかわいい子より、
かわいい子が来たことはないのである。
何故なら、想像のほうが、ディテールがないからである。

バックストーリーを作るとき、
気をつけなければいけないのは、
詳細を作りすぎないことと、
詳細を作って面白そうなら、
本編に組み込むことと、
そのバックストーリーと現在の事件の絡みを上手く描くことだ。
たとえば「ルパン三世カリオストロの城」では、
ルパンがゴート札に首を突っ込んで失敗し、
幼少のクラリスに出会い介抱された、
というバックストーリーがあるが、
これが現在のルパンの「過去の汚点をそそぐ為にゴート札にリベンジする」
という動機を生み出し、
「大人になったクラリスと運命的な再会をして淡い恋を抱く」ことに
無理のない根拠を与えている。

バックストーリーは、現在に影響を与えるときのみ、効果的である。
そうでなければ削るべきである。


バックストーリー以外の方法は。

カレンダーや手帳を人物に持たせることだ。
つまり、彼らの手帳には、
来週の予定や来月の予定や誕生日が書き込んであるからだ。
人間は将来の予定に応じて現在を決めている。
6時から塾だから5時半まではスタバでおしゃべりする、
と決めて女子高生はスタバに入る。
その日暮らしなのはホームレスだけだ。
否、ホームレスですら、明日は燃えるごみの日だ、と将来のカレンダーを持っている。

これらの方法は、
その人物の線を意識する方法論である。
どこから来て、どこにいて、どこへいくのかを、
決める方法論だ。

そしてもうひとつ。
目的だ。
目的のない人物は、映画にはいない。
どの人物も、大なり小なり目的がある。
それを実現する為に現在の線を崩す覚悟でその場にいるはずだ。
6時に塾に行くのは、大学に合格する為であり、
おしゃべりが楽しくても打ち切る行動をするだろう。
今目の前にいない、大好きな先輩の話をしていても、
大学のことを考えて行動するはずだ。



このように、会話劇は、
頭の中に沢山のことが渦巻きながら進行しているものだ。
それを一人ではなく、二人、三人分を、
同時に考えながら進行させられるかが、
会話劇が上手いか下手かということなのである。

今目の前にあるものしか話してないか?
(ハリウッドの脚本の教科書でよく出る最悪の台詞のひとつは、
「見ろ!奴らは銃を持っている!」である)
今目の前にあるものは、
絵で分かる。
会話は、今目の前にないことを話すと、
話が面白くなってくる。
posted by おおおかとしひこ at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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