2016年02月13日

他者とどう折り合うか

人間にとって、永遠の課題だ。

自分以外は他者。
そんなことは頭では分かっているが、
心ではなかなか承服出来ないものである。


育ちも好みも考え方も違う。
認めるものも認めないものも違う。
リズムも生理も違う。

にも関わらず、私たちは、
他者と協力し、恋愛し、友情を結び、家族になる。

その原理のひとつを、
物語では書かなければならない。


何故自分と違う人を愛するのか?
何故自分と違う人に協力するのか?
自分かわいさ以外の、理屈以外の部分を書けたとき、
その物語は、人間を描けたといえると思う。


ここで唐突に、双子の話をしてみよう。
物語には昔から双子というモチーフはよく出てくる。
生き別れの双子の兄とか、
幽閉された鉄仮面は、双子の弟で王位継承者とか。
それは、
他者ばかりの世界に、自分がもう一人いる、
という一種のファンタジーになるからだと思う。

ところで、何故か双子ものが、
女子の皆さんは大好きだったりする。
マーズ×マーグとか、項羽×小龍とか、
最近ならおそ松さんとか。
(ロケットペンシルは凄い発明と思ったよ)
70年代から80年代にかけて、半身願望も流行ったよね。

僕は、これは成長期の過程における、
「他者というものを受け入れる過渡期」に起こるのではないかと考えている。
他者を受け入れることが出来なくてうんざりしているから、
逆の、受け入れられる自分というものを見て、
逃避するのではないかと。
それが気持ち悪いと分かってくれば、
世の中には他人しかいないのだ、
と世界を理解するようになる、と。

特に女は、他人を受け入れる性だから、
他者を受け入れられるかどうか、
という心の関門に敏感なのではないかなあ、と思う。

(ちなみにゴッドマーズを下調べしたら、
裏番組がダグラムだったらしい。
僕はダグラムを見てたから、
ゴッドマーズの盛り上がりを知らなかったんだなあ)



僕は、双子とはいえ、
経験が異なれば他者であると考える。
だから風魔の5話では、
小龍は兄にコンプレックスを持っている話にしたてあげた。
同じ人間と見なされると、基準を更に他者にしてみた。
二人のペアでオリジナルなのだ、
という、他者と自分というものを、
止揚した結論に至る台詞を書いたのは僕である。
(一応、双子好き女子の心を傷つけないような配慮はしている)
その後小龍はキャラが立たなくて苦労したなあ。
今思えば、「小龍の悪ふざけ」というキャラになれば、
面白かったかもね。



双子ネタは、
だから、他者を受け入れられるかどうか、の瀬戸際の問題に抵触する。

あなたの書く物語は、
ちゃんと他者と他者の、協力や反発を描いているだろうか?
そこに未熟な者は、
きちんとした恋愛や友情を描けないと思う。
自分と似た人しか好きにならないのは、
僕は未熟者の脚本だと思っている。

他者と協力するのは、同じ目的を共有したときだ。
他者と喧嘩するのは、異なる目的だからだ。
物語は、性格や人格ではなく、
あくまで目的ベースで話が進むことを、
常に頭に入れておこう。

つまり上手く他者と付き合いが出来ないのなら、
同じ目的を持たせたり、異なる目的を持たせたり、
ここまでは同じだがここからは異なる目的を、
持たせてみたりするとよい。
posted by おおおかとしひこ at 16:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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