どんなお話にも、殆どこれがある。
「一体どういうつもりだ!」
「何が目的?」
「奴は何を考えている?」
「何のためにこれをするの?」
「ゴールはこうです」
「それさえ実現できれば、犠牲は問わない」
「どうしたい?」
「狙いは、そっちか」
「次の日曜、空いてますか?」
「知らない!全然わかんない!」
「そうだったのか」
などなど。
前記事の続きからすれば、
人間は互いの目的を知りたがり、確認したがる。
どこまでが一致で、どこからが異なるかも、確認したがる。
あるいは、目的を隠すことも楽しい。
「本当は世界を救う目的のヒーローなのだが、
それを隠して大学に通う一般人を演じている」(スパイダーマン)
などである。
仮面の面白さは、今見えている目的と、
隠された目的が異なる面白さである。
(だから矛盾が生じる。その内的な悩みを上手く外に出して、
感情移入出来るように作ったのが「スパイダーマン2」という傑作だ)
現実には、
目的が完全に一致することは殆どない。
利害関係や面子や政治が絡む。
だからこそ、大同団結する瞬間が、物語的だったりするものだ。
殆どの時間において、
人は他者の目的を探ろうとする。
目的さえ明らかになれば、
あとは実行のみ(敵なら殲滅、味方なら協力)になるからだ。
自分の目的の発生、
他者の目的の確認、
実行、
結果による、自分の目的のマイナーチェンジ、
結果による、他者の目的のマイナーチェンジ、
他者の目的の確認、
以下ループ。
極端に言うと、
こういうことが物語の中で起こっているのである。
2016年02月13日
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