2016年02月13日

目的の確認

どんなお話にも、殆どこれがある。


「一体どういうつもりだ!」
「何が目的?」
「奴は何を考えている?」
「何のためにこれをするの?」
「ゴールはこうです」
「それさえ実現できれば、犠牲は問わない」
「どうしたい?」
「狙いは、そっちか」
「次の日曜、空いてますか?」
「知らない!全然わかんない!」
「そうだったのか」

などなど。

前記事の続きからすれば、
人間は互いの目的を知りたがり、確認したがる。
どこまでが一致で、どこからが異なるかも、確認したがる。

あるいは、目的を隠すことも楽しい。
「本当は世界を救う目的のヒーローなのだが、
それを隠して大学に通う一般人を演じている」(スパイダーマン)
などである。

仮面の面白さは、今見えている目的と、
隠された目的が異なる面白さである。
(だから矛盾が生じる。その内的な悩みを上手く外に出して、
感情移入出来るように作ったのが「スパイダーマン2」という傑作だ)


現実には、
目的が完全に一致することは殆どない。
利害関係や面子や政治が絡む。
だからこそ、大同団結する瞬間が、物語的だったりするものだ。


殆どの時間において、
人は他者の目的を探ろうとする。
目的さえ明らかになれば、
あとは実行のみ(敵なら殲滅、味方なら協力)になるからだ。


自分の目的の発生、
他者の目的の確認、
実行、
結果による、自分の目的のマイナーチェンジ、
結果による、他者の目的のマイナーチェンジ、
他者の目的の確認、
以下ループ。

極端に言うと、
こういうことが物語の中で起こっているのである。
posted by おおおかとしひこ at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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