激しい展開のあとや、
次への立ち上がりの前など、
静かなシーンがあることがある。
これは登場人物の、気持ちの緩衝地帯になる。
ショッキングな出来事は、
展開の妙としてよくあることだ。
これを生かすのは、その場面の出来ではなく、
その後の展開である。
その後が面白くなって、はじめてあの出来事が効いている、
となるのである。
ただショッキングな出来事を持ってきても、
その場が盛り上がるだけでストーリー全体に効果的とは限らない。
ショッキングな出来事が起こったら、
主人公などの登場人物がそれを受け止めるには時間がかかる。
たとえば近い人の死などを想像すればよい。
酷い死に方なら尚更。
死以外にも、ショッキングな展開は沢山あり得る。
重大な決定など、覆らないものがそうだ。
これらを受け止める時間を作ろう。
それをどう自分なりに受け止め、
解釈し、次に何をするのがベストかを決断するまで、
少し間をあけよう。
簡単に言えば「もう泣かない。○○しなきゃ」というまでだ。
登場人物は、一人であるより複数である方がよい。
何故なら映画は会話でしか頭の中身を言葉に出来ないからだ。
このとき、複数の人物は全員違う反応をしている、
ということも思いだそう。
全員が同様の反応をしているのは映画ではない。
ご都合である。
ショッキングな出来事に対して、
それぞれがそれぞれの立場で思うことがあり、
それぞれの気持ちをぶつけ合うシーンがある。
それぞれには目的がある。
それらを微修正して、次の目的が明確になるまで、
彼らはどこまでが同じ目的で、どこから違う目的かを、
確認することになる。
確定すれば行動だ。
同じ船に乗り続けるか、船を降りるかも決めるだろう。
気持ちの緩衝地帯をつくると、
このようなことが自然に描ける。
ここで上手く緩衝しきれないと、
ショッキングな出来事だけ描いて、失敗する。
(たとえば漫画「みんな〜エスパーだよ!」は、
ヒロインのショッキングな重大事件から先、
全く上手くいかなかった)
逆に気持ちの緩衝地帯で、
人間ドラマが起こるのである。
2016年02月14日
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