2016年02月16日

性格分析の言葉

試しに、心理学での性格分析の言葉に触れてみるとよい。
大抵は注意欠陥障害とかの、
発達心理あたりにそういう言葉が多いかも知れない。
「性格的に問題があるところ」が、
現場の最前線だからね。

さて、どんなものでもよいから、
性格分析の言葉で、いくつかの典型的性格を知ろう。

問題は、「その性格を知ったからと言って、
その性格の行動や発言を作り出すことはすぐには出来ない」
ということである。


たとえば、
「論理的思考や分析に秀でる。
だがロマンチックな夢想を抱きやすい。
行動は臆病で、石橋を叩いて渡る。
補佐役や秘書につけると強い。
手先や感性が細かい所に向く」
は、僕の乙女座としての性格分析だ。

だからと言って、これから僕が何を言うか、
何をするかは予測できない。

パターン化したことは記述出来るかも知れない。
決断に迷って停滞したり、細かいところを直していたり、
論理的な言葉で言うぐらいだ。
しかし、
時に大胆な決断をしたり、猥談を好んだり、
時々鈍いところがあったりするところまで、
この性格分析は記述出来ない。

じゃあその部分を性格分析の言葉に加えるか。
今度はそうじゃない部分を記述出来なくなり、
きっと物凄い分量になるだろう。
それでは性格分析の言葉として、使えない。


物語に登場する人物は、
精々数行程度で性格分析出来る程度でよい。
常に揺れや曖昧を許容するべきだ。
何故なら、例外的な部分が面白い(ギャップとか)のであり、
物語とは日常とは違う例外、非日常であるからだ。

普段は論理的で慎重な俺が、
成功するとは限らない非論理的な告白をするから、
物語になるのである。
ただしそのやり方は、論理的で分析的で、
繊細で言語的である可能性はあるだろうけど。
(これは自分のことだから詳細にプロファイリング出来るが、
三人称物語は、他人である登場人物にこの程度出来なければならない)


性格分析の言葉は、
その人の日常、つまり一幕での基本設定にすぎない。
事件が起こり、初期の反応や対応はその人の性格分析通りだろうが、
話が進むとそれだけでは足りなくなってくる。
何せ物語は非常事態だからである。

物語は、そういう意味で、
「新たな性格を獲得する過程」であるといえる。

元々あった性格が、非常事態を乗り越えることで、
成長、変化するということは、
元々の性格が何らかの新しい要素を獲得したということだ。
(自信やプライドや成功体験などが、
よく扱われるモチーフ)


僕が性格分析なんてあまり意味がないと思っているのは、
「性格(人格)は固定されたもの」という前提があるからだ。
人は可塑性のない頑固なものではなく、
柔軟に対応できるし、本当に大事なことがあれば変わる。
テコでも動かない頑固者すら変わる瞬間が物語だ。
そういう話を書かないと、人間ドラマとは言えないだろう。

じゃあどうやって書くか?
人の変化についてよく観察することだ。
自分が変わった瞬間のこと。
元はどうで、何があり、何を思って、どう変わったか。
それにはどれくらいかかったか。
どれくらい追い詰められたか。
あるいは人から変わったと言われたとき、
何がどう変わったかを尋ねるのもよいことだ。

勿論、三人称型は他人の変化を書くことだ。
自分の体験の分析から出発し、
他人の性格分析をし、他人が変化する様を描く。
身の回りの人を参考にしてもよいし、
他人の自伝にもそういうことが書いてあるかも知れないし、
古今東西の物語に書いてあるかも知れない。

性格分析の言葉は、固定した言葉である。
変化を描くには向かない。

まあ、Aという固定状態からBという固定状態へ変化した、
と始点と終点を書くことは可能だから、
一番美味しい「その途中」を考えるだけなのだがね。
posted by おおおかとしひこ at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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