試しに、心理学での性格分析の言葉に触れてみるとよい。
大抵は注意欠陥障害とかの、
発達心理あたりにそういう言葉が多いかも知れない。
「性格的に問題があるところ」が、
現場の最前線だからね。
さて、どんなものでもよいから、
性格分析の言葉で、いくつかの典型的性格を知ろう。
問題は、「その性格を知ったからと言って、
その性格の行動や発言を作り出すことはすぐには出来ない」
ということである。
たとえば、
「論理的思考や分析に秀でる。
だがロマンチックな夢想を抱きやすい。
行動は臆病で、石橋を叩いて渡る。
補佐役や秘書につけると強い。
手先や感性が細かい所に向く」
は、僕の乙女座としての性格分析だ。
だからと言って、これから僕が何を言うか、
何をするかは予測できない。
パターン化したことは記述出来るかも知れない。
決断に迷って停滞したり、細かいところを直していたり、
論理的な言葉で言うぐらいだ。
しかし、
時に大胆な決断をしたり、猥談を好んだり、
時々鈍いところがあったりするところまで、
この性格分析は記述出来ない。
じゃあその部分を性格分析の言葉に加えるか。
今度はそうじゃない部分を記述出来なくなり、
きっと物凄い分量になるだろう。
それでは性格分析の言葉として、使えない。
物語に登場する人物は、
精々数行程度で性格分析出来る程度でよい。
常に揺れや曖昧を許容するべきだ。
何故なら、例外的な部分が面白い(ギャップとか)のであり、
物語とは日常とは違う例外、非日常であるからだ。
普段は論理的で慎重な俺が、
成功するとは限らない非論理的な告白をするから、
物語になるのである。
ただしそのやり方は、論理的で分析的で、
繊細で言語的である可能性はあるだろうけど。
(これは自分のことだから詳細にプロファイリング出来るが、
三人称物語は、他人である登場人物にこの程度出来なければならない)
性格分析の言葉は、
その人の日常、つまり一幕での基本設定にすぎない。
事件が起こり、初期の反応や対応はその人の性格分析通りだろうが、
話が進むとそれだけでは足りなくなってくる。
何せ物語は非常事態だからである。
物語は、そういう意味で、
「新たな性格を獲得する過程」であるといえる。
元々あった性格が、非常事態を乗り越えることで、
成長、変化するということは、
元々の性格が何らかの新しい要素を獲得したということだ。
(自信やプライドや成功体験などが、
よく扱われるモチーフ)
僕が性格分析なんてあまり意味がないと思っているのは、
「性格(人格)は固定されたもの」という前提があるからだ。
人は可塑性のない頑固なものではなく、
柔軟に対応できるし、本当に大事なことがあれば変わる。
テコでも動かない頑固者すら変わる瞬間が物語だ。
そういう話を書かないと、人間ドラマとは言えないだろう。
じゃあどうやって書くか?
人の変化についてよく観察することだ。
自分が変わった瞬間のこと。
元はどうで、何があり、何を思って、どう変わったか。
それにはどれくらいかかったか。
どれくらい追い詰められたか。
あるいは人から変わったと言われたとき、
何がどう変わったかを尋ねるのもよいことだ。
勿論、三人称型は他人の変化を書くことだ。
自分の体験の分析から出発し、
他人の性格分析をし、他人が変化する様を描く。
身の回りの人を参考にしてもよいし、
他人の自伝にもそういうことが書いてあるかも知れないし、
古今東西の物語に書いてあるかも知れない。
性格分析の言葉は、固定した言葉である。
変化を描くには向かない。
まあ、Aという固定状態からBという固定状態へ変化した、
と始点と終点を書くことは可能だから、
一番美味しい「その途中」を考えるだけなのだがね。
2016年02月16日
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