「あれっ?これ、進研ゼミでやったパターンだ!」
つまり、テンプレとはパターンだ。
それに気づけるのは、数多い経験でしかない。
ストーリーにはテンプレがある、
そういうと真実なような気がする。
我々の脳の構造で理解できるストーリーには、
パターンがあるのだ、
と言われればそうかもね、と、思う。
だからと言って、創作がパターン化することの意味はない。
音符の組み合わせには限界がある、
と言われている音楽ですら、
じゃあ過去の名曲だけやってればいいか、
というとそうではないからだ。
人は、目新しさを面白いと感じるからである。
それは、環境に適応していく本能として残る。
目新しさを避けた一族は全滅してきたからだ。
過去の名作しか上映しない歌舞伎は、
目新しいか?
保存としては意味があるが、
新作の永久に作られないジャンルは、生きてると言えるのか?
さて、難しい話をしてもしょうがない。
名作を沢山見よう。
沢山見れば、そもそもパターンが分かってくる。
コツは、満遍なく見ることと、得意分野を作ること。
満遍なく見ることは、
50年代、60年代、70年代、80年代、90年代、00年代の映画を、
満遍なく見ることだ。
各10本に限定しても、60本見なきゃいけないことになる。
また、基本的なものと応用的なものを見る満遍さも必要だ。
応用的なものは、基本的なものを下敷きにしている。
基本的なものを見れば、
ああ、あれはこれの応用だったのだな、
ということが分かるものである。
(特に得意分野があれば、それが分かりやすい。
僕は中二男子なので、SF映画はナチュラルボーンにそのジャンルだ)
さらに、国についても満遍さがあった方がいい。
ハリウッドどメジャー、アメリカのマイナー映画、
邦画のメジャー、インディペンデント、
フランス映画、イタリア映画、香港映画、韓国中国映画。
ドイツ、ロシア、ベトナム、イスラム、タイ、インド、イギリス、チェコ。
実写からアニメから、実験映画まで。
様々な人種や文化があることを知り、
同時に同じ人間で、似たような社会だなあと知ろう。
これだけで100本じゃ済まないよね。
300は欲しいね。
誰もが知ってる映画は、大体見よう。
その上で、自分の得意分野も作ろう。
苦手分野もあっていいが、一本も見たことないはやめよう。
そうこう言ってるうちに、500ぐらいは見ることになるよ。
大当たりから大外れまで、満遍なく見よう。
キレッキレから無難まで、満遍なく見よう。
そうするとだ。
馬鹿じゃない限り、テンプレなんて分かってくるよ。
その努力をしないで、
そのテンプレさえあれば楽して名作が書けるなんて、
あるわけないじゃん。
あるとしたら、単なる詐欺だよ。
楽したいという君を騙して金を取るのさ。
金だけ取られて、名作が書けないのは君のせいにされるに決まってる。
フールーだろうがツタヤだろうが映画館だろうが木曜洋画劇場だろうが。
何でもいい。
貪欲に見よう。
三年ぐらい積み重ねりゃ、テンプレなんて勝手にマスターする。
十年やりゃ、使い回せるようになる。
十五年やれば、新しさそのものを追求するようになる。
そっからが本番。
なんの積み重ねもない少年が、
偶然名作を書くという奇跡に憧れてるんだろ?
宝くじに当たる奴より少ないんだぜ?
宝くじは毎年何十人も当たってるけど、
それより少ないよね?
十年に一人の才能とか言うぐらいだもんね。
書かないんなら100本見ればいいのさ。
努力も運もない奴が成功する世界は、この世にない。
(ちなみに、努力も運もあっても、成功しないこともある。
それがこの世である)
2016年02月17日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック