2016年02月17日

ストーリーのテンプレ2

「あれっ?これ、進研ゼミでやったパターンだ!」
つまり、テンプレとはパターンだ。

それに気づけるのは、数多い経験でしかない。


ストーリーにはテンプレがある、
そういうと真実なような気がする。

我々の脳の構造で理解できるストーリーには、
パターンがあるのだ、
と言われればそうかもね、と、思う。

だからと言って、創作がパターン化することの意味はない。
音符の組み合わせには限界がある、
と言われている音楽ですら、
じゃあ過去の名曲だけやってればいいか、
というとそうではないからだ。
人は、目新しさを面白いと感じるからである。
それは、環境に適応していく本能として残る。
目新しさを避けた一族は全滅してきたからだ。

過去の名作しか上映しない歌舞伎は、
目新しいか?
保存としては意味があるが、
新作の永久に作られないジャンルは、生きてると言えるのか?


さて、難しい話をしてもしょうがない。

名作を沢山見よう。
沢山見れば、そもそもパターンが分かってくる。

コツは、満遍なく見ることと、得意分野を作ること。

満遍なく見ることは、
50年代、60年代、70年代、80年代、90年代、00年代の映画を、
満遍なく見ることだ。
各10本に限定しても、60本見なきゃいけないことになる。

また、基本的なものと応用的なものを見る満遍さも必要だ。
応用的なものは、基本的なものを下敷きにしている。
基本的なものを見れば、
ああ、あれはこれの応用だったのだな、
ということが分かるものである。
(特に得意分野があれば、それが分かりやすい。
僕は中二男子なので、SF映画はナチュラルボーンにそのジャンルだ)

さらに、国についても満遍さがあった方がいい。
ハリウッドどメジャー、アメリカのマイナー映画、
邦画のメジャー、インディペンデント、
フランス映画、イタリア映画、香港映画、韓国中国映画。
ドイツ、ロシア、ベトナム、イスラム、タイ、インド、イギリス、チェコ。
実写からアニメから、実験映画まで。

様々な人種や文化があることを知り、
同時に同じ人間で、似たような社会だなあと知ろう。


これだけで100本じゃ済まないよね。
300は欲しいね。

誰もが知ってる映画は、大体見よう。
その上で、自分の得意分野も作ろう。
苦手分野もあっていいが、一本も見たことないはやめよう。
そうこう言ってるうちに、500ぐらいは見ることになるよ。

大当たりから大外れまで、満遍なく見よう。
キレッキレから無難まで、満遍なく見よう。


そうするとだ。
馬鹿じゃない限り、テンプレなんて分かってくるよ。

その努力をしないで、
そのテンプレさえあれば楽して名作が書けるなんて、
あるわけないじゃん。
あるとしたら、単なる詐欺だよ。
楽したいという君を騙して金を取るのさ。
金だけ取られて、名作が書けないのは君のせいにされるに決まってる。


フールーだろうがツタヤだろうが映画館だろうが木曜洋画劇場だろうが。
何でもいい。
貪欲に見よう。

三年ぐらい積み重ねりゃ、テンプレなんて勝手にマスターする。
十年やりゃ、使い回せるようになる。
十五年やれば、新しさそのものを追求するようになる。
そっからが本番。

なんの積み重ねもない少年が、
偶然名作を書くという奇跡に憧れてるんだろ?
宝くじに当たる奴より少ないんだぜ?
宝くじは毎年何十人も当たってるけど、
それより少ないよね?
十年に一人の才能とか言うぐらいだもんね。

書かないんなら100本見ればいいのさ。
努力も運もない奴が成功する世界は、この世にない。

(ちなみに、努力も運もあっても、成功しないこともある。
それがこの世である)
posted by おおおかとしひこ at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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