どうして創作をするのだろう。
映画にとどまらなくともよい。
絵を描く、音楽を作る、芝居をやる、立体物を作る、文を書く。
それでどうするのだろう。いや、どうもこうもない。
本人には分かっている。
ただ内なる衝動に従っているだけだ。
ところが、受け手側から見てみると、
その衝動などどうでもいいということが分かる。
芸術は人を救う、とよく言う。
芸術は、と考えると難しいから、個別に考えると分かりやすい。
映画で癒された、辛い毎日がちょっと楽になった、
影響されて真似をし、世界を変えられるような錯覚を持った、
何かあるとそれを見て、また頑張ろうと思う。
映画の所に、
絵やイラスト、音楽、演劇、音楽劇、小説、エッセイ、詩(歌詞を含む)、
彫刻や建築や空間、
などなどを代入することも可能だ。
受け手が癒しを求めて芸術を求めるかどうかは不明だが、
結果に関しては、明らかだ。
人は、芸術に癒される。
優れた芸術は、人を癒す。
そこにある種の理想的世界があるからかも知れない。
現実離れしようが、現実に酷似していようが。
言葉を変えて言うと、
人は芸術を楽しむとき、なるべくその世界にどっぷり浸かる。
ケータイを切り、闇に身を浸し、邪魔を断ち切る。
観賞後もその世界に心が行ったままである。
(脳科学の治験によれば、小説読了後、
ほっておいても三日は脳内で神経が興奮しているらしい)
その、「どっぷり浸かる」ことが、
人を癒したり、救うための条件かも知れない。
あなたは何故その世界を作るのか?
まずは自分がどっぷり浸かるためだ。
その浸かりっぷりが、
汎用性が高いとか、みんなが浸かりやすいとか、
ある種の人種やクラスタが浸かりやすいとかが、
メジャーブレイクやハマリを引き起こし、
リピーターを増やし、
社会現象に至るのである。
芸術は人を救う。
どうやってか?
世界にどっぷり浸からせることで。
(サイバラは、「パチクロ」で、うまい絵の人からは、
風が吹く、というような言い方をした。
絵があるのではなく、窓があって別世界があるという感覚なのだろう)
あなたはそんな、
みんな(日本中の、世界中の)が、
浸かってて楽しい、
特殊で、特異で、個人的で、しかも世界に通用する、
世界を作るのである。
2016年02月18日
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