2016年02月19日

タイトル詐欺(オデッセイ批評)

ホメロスの漂泊としての叙事詩に重ねた、
オデッセイというタイトルが果たして適切だったか?

火星のサバイバルが面白くなかった。
ドラマ(人と人のコンフリクト)は地球側にあるのだから、
タイトルは、
「火星救出作戦」が適切だったのではないか?


大きなプロットは無人島脱出ものだ。
舞台を火星に変えただけである。

だが新しい無人島としての火星の過酷さが全く伝わって来ない。
少し軽い重力、薄い大気(酸素はたしかないんだよね?)、
昼夜の寒暖差などの基礎データを最初に示して、
生物がひとつもない、ウイルスですら、
というセットアップを何故しないかが分からない。

それは、火星サバイバルというこの映画のコンセプトをより面白くするための、
前提知識になるはずだ。

(宇宙服がないと辛そうとか、夜寒そうとかしか、
なかったね)

植物学者の知識も殆ど生きてなかった。
うんこでじゃがいも育てるのは、
誰でも思いつくよね?
凍ってしまって一見ダメになったけど、
種芋は○○度まで耐えるのだ、とか、
植物学者ならではのサバイバルを見たかったところだ。

つまり、
「新しい環境に対して、知恵や学問で挑む」の部分が、
全然面白くなかったといえる。
(アメリカの知性は、その程度という話もある)


オデッセイの名に足る、漂泊物語でも何でもなかったのである。


この映画をまともに見たのなら、
これはチームで一人を助けようとする話であることぐらいわかるはずだ。
ということで、
「火星救出作戦」でいいんじゃね?となるのであるが。

タイトル詐欺を、意図的にやってるのか?
それとも本気でそう思ってやってるのか?
最早映画の売り方が分からなくなっているのか?

どれだとしても、酷い話だ。
posted by おおおかとしひこ at 16:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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