言えなかったことが言えないのが、台詞だ。
台詞の下手を見ていると、
100%言いたいことを言う
↓
100%理解が起こる、
100%理解した上でのリアクションが返ってくる
↓
めでたしめでたし
などという、
「理想的な情報のやり取りと、
適切な変容」
を書こうとしてしまうようだ。
そうではない。
現実は理想ではない。
台詞とは、言うべきことを言うと同時に、
言えなかったことも言えなかったと、
表現するべきなのだ。
つまり、
言えなかったことがあることで、
意図も100%伝わらず、
「相手が察する」という事態や、
「相手が誤解する、曲解する」という事態が起こり、
それをまた台詞で修正しようとするが…
というループ、ピンポン、螺旋が起こるのが、
台詞劇というものだ。
私たちは言葉で意思を100%伝えられない。
その前提に立とう。
だから、伝えられないことを、
不完全な言葉でどうにか伝える。
だから言葉そのものが完全ではなく、
そのいびつな言葉から、
言葉に出来なかったことを、相手は「読み取る」。
勿論、観客もだ。
「君がたいせつだ」
という台詞で愛の告白をするとき、
その背後にいる大きな思いをも、人は受けとることが出来る。
言葉は、あなたの意思を100%伝えられる道具ではない。
それを上手く使うには、
言葉にしないことで伝わるような、
言葉の使い方をするべきだ。
それは、上手く含む、ということかも知れない。
単純な場面での言葉でなく、
文脈があるからこそ、
言葉は文字通りの意味以上に、意味を含めるのだろう。
つまり、その言葉以上の意味を含む言葉は、
短くてすむ。
台詞の下手なやつは、ダラダラ長く書き、
うまい人は一発で決める、という傾向は、
これに起因するかも知れない。
2016年02月21日
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