2016年02月22日

どっかで飽きる

相変わらず、「最後まで書けない」という検索ワードがあとをたたない。
みんなよっぽど苦労してるんだろう。

今日は別の角度から検証してみる。
自分が最後まで出来たことと、
最後まで出来なかったことの、
差はなんだろうか?

僕は、途中で飽きたかどうかの差だと思うのだ。


最後まで出来たことは、
書く以外に何があった?

掃除?洗濯?
引っ越しの準備?
資料作り?

これらは何故出来た?
締め切りがあったからだよね?
(締め切りを設けて何かを書くことは、
強制的に最後まで書く、有効な方法だ)

たとえ途中で飽きてしまう単調な仕事でも、
締め切りさえあれば人はこなすものである。

問題は、締め切りのないやつだ。

たとえば、僕はプラモデルを最後まで完成させたことがあんまりない。
何でだろうと思い出すと、
自分の理想より、現状がいまいちで、
これ以上進めても、カッコイイザクにならねえぞ、
と何となく見えてしまったからではないかと思う。

長編漫画も、結局完結していない。
締め切りのあった手塚賞用は、かけた。


つまり。

締め切りのない自由創作では、
必ずどこかで飽きる。

飽きる、というのは、
最初の素晴らしい思いつきが最後まで持続せず、
別の思いつきを足してしまうことで、
最初の思いつきに飽きたことを、ごまかしてしまうことではないか?

で、その持続も尽きて、次に思いつき、それも尽きて…
という縮小ループが、途中挫折を生むのではないだろうか。


対策はふたつあるように見える。
最初の思いつきを信じて、最後まで粘ること。
もうひとつは、
思いつき続けて最後までたどり着くこと。


長編漫画は後者の方法論で作られていて、
それは殆どの場合失敗する。
(満足に完結した漫画の少ないこと!)

では前者は?
短編ならいける。
構成を整理して、あとは勢いで書く。
一日以内で書く方法については、以前書いた。
つまり、飽きる前に書き終える、
あるいは、飽きても今日中という締め切りを課すことで、
豪腕でねじ伏せて完成させるやり方だ。

僕はてんぐ探偵の殆どの第一稿は、
この方式でやっている。
原稿用紙30枚以内なら、ワンデイでなんとかなることを、
経験的に知っているからである。
(勿論、全作プロットを準備したうえでだが)


さて、本題。

僕は、「飽きることを想定した上で、
何個かのアイデアを事前に盛り込む」
ことを提案してみよう。

自分がどれくらいかで飽きる、と予想するのである。
あるいは、飽きた自分をシミュレートした上で、
次にこれに飛びつけよ、と置き石をしておくのである。

それは、自分をどれだけ知っているかにもよる。
一種の罠にかける方法だからだ。


経験的には、
一幕のアイデア、
二幕のアイデアふたつ、
三幕のアイデア、
計よっつぐらいまでためておけば、
最後まで書ききれるような気がする。
あとは道中で思いつくだろうという読みもしておくけど。

ついでに。
ラストのアイデアが一番執着のある素晴らしい思いつきであると、
最後まで粘りやすい。


どっかで飽きる。
それは書き手だけでなく、
受け手もそうだ。
そのタイミングを見越して、
次の新鮮さを準備しておく用意周到さこそが、
プロの業というものだ。
(言うまでもなく、その境目はターニングポイントになるよね)
posted by おおおかとしひこ at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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