最近の洋画にいまひとつ食指が動かないのは、
邦題がダメ過ぎることも大きいような気がする。
昔浜村淳が映画コーナーの中で、
同じ批判をしていた。
「全部カタカナやと意味わからんから、行かへんで」ってね。
「全部カタカナやとおしゃれやわー言うてるアホは、
どうせ中身も見てないから、あとで口コミにもならん」とも。
先日、「オデッセイ」は糞タイトルだと批判した。
名が体を表していないし、
そもそもオデッセイの意味と中身を知っている人もごく少数だ。
ということはその意図は、
「なんやわからんおしゃれなカタカナで、
雰囲気で釣ったろ」以外ないということになる。
これは、映画を作っている人への侮辱だと思う。
たとえば、「エクスペンダブルズ」という酷い邦題があった。
つまはじかれ者を寄せ集めた部隊の意味らしいが、
そんな単語知ってる人は日本に五人ぐらいだろうし、
わかったからといって見に行かないし、
分からずにおしゃれやわと見に行く人もいないし、
おしゃれやわと思ったら期待と違ったと思う人のほうが多いだろう。
僕は、「筋肉特攻隊ジャガー」ぐらい、
中身を反映させたバカタイトルのほうが適切だったと考える。
誰の名言か忘れたのだが、
「タイトルは、作品が終わったあとの最後の行に来る」
というのがある。
つまり題名とは、全てを包括する意味に昇華すべきなのだ。
エクスペンダブルズもオデッセイも、
そんなことすら知らない、無知がつけたのだろう。
(最近の議論だと、ゼログラビティがそうだよね。
全てが終わったあと、グラビティというタイトルが出る演出は、
まさに内容を包括昇華したタイトルだったのに、
アトラクションの部分を強調したヘンテコな邦題をつけられていた)
つまりさ。
カタカナ邦題は、内容をわかってないバカがつけてるのさ。
内容の価値を理解しないバカが、
観客を雰囲気で釣る為につけてるのさ。
それで騙されたと騒がない知性の低いやつを騙すためにさ。
どっかの地方の砂浜を、「コスタ・デル・ソル」と名前をつけるぐらい、
恥ずかしいことをしてるのさ。
オデッセイの邦題をつけた馬鹿は誰だ?
喧嘩を買ってやるぜ。
映画ってのは、
「アパートの鍵、貸します」とか、
「2001年宇宙の旅」とか、
「欲望という名の電車」とか、
「死刑台のエレベーター」とか、
「ランボー/怒りの脱出」とか、
「ゴースト/ニューヨークの幻」とか、
素晴らしい日本語で意訳するものだ。
カタカナ邦題をつける奴は、母国語の不自由なバカだ。
今時ポップスのサビをフル英語にするようなバカだ。
2016年02月23日
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