2016年02月24日

カットを割るのは、間を盗む為

以前にも書いたかも知れない。

編集でカットを割ると、現実の間よりも進行を早めることが出来る。
省略する、という言葉の感覚よりも、更に微細な感覚でだ。
今日は編集論だ。


たとえばヒキとヨリを繋ぐとしよう。
ヒキでセリフ1、ヨリでセリフ2を言うとする。

このとき、
現実にセリフ1+2を言う秒数より、
よく編集されたヒキヨリの、セリフ1+2のほうが短い。


なんでだろう。
編集というものをよく知っていれば出る答えである。

大抵の場合、
セリフ2の頭を、前のヒキの尻に先行させて言わせるように、
編集するからである。

図に書いてみよう。

ヒキヒキヒキヒキ ヨリヨリヨリヨリ
セリフ111 セリフ2222222

のようにするのが常識的な編集だ。
現実には、

セリフ111   セリフ2222222

と言っている音の間を、絵の切り替わりを利用してつまむのである。


これは先行させた例だけど、後にこぼすことも出来る。

ヒキ ヨリヨリヨリヨリヨリヨリヨリ
セリフ111 セリフ2222222

などのようにだ。
セリフ1の尻が次の頭にこぼれている例である。

どちらも、セリフ1と2の間の間を盗んでいる。
ちなみに、

ヒキヒキヒキ ヨリヨリヨリヨリヨリ
セリフ111 セリフ2222222

のようにセリフの切れ目を絵の切れ目に持ってくるのは下手な編集で、
ただテンポがずれたようにしか見えない。

ところが絵と音の切り替わりをずらすことによって、
巧みに間を盗むことが出来る。
我々は音の切り替わりと絵の切り替わりを、
どうやら別の機構で感じているから、
というのが僕の経験的裏付けである。
これが上手な編集というものだ。
(これを意識的に日常見る映像で見ているのは、
編集者と監督ぐらいのものだろう)


前も書いたけど、CMは音で繋ぐ。
絵が入るかよりも、音が入るかのほうが重要だからだ。
絵は時間軸を持たないが、音は時間軸を持つからだ。

つまり、音編集が先で、
絵はその間を盗んでいないかのように繋いでいくのが極意である。



素人は、編集とは切ったり入れ換えたりの、
大きな操作のことを想像するかも知れない。
しかし実際の編集は、
このようなズレをつくることで、
間をつくっていくことが殆どだ。

映画の会話や展開が、日常のダラダラよりもテンポがよいのは、
実はこのようなことによるのである。
(自作例で言えば、風魔10話小次郎と姫子のデート、
「ホントに?」と言い合うテンポ溢れるシーンを思いだそう。
あれは勿論編集で作ったテンポで、実際の芝居があのようにされた訳ではない)

この二日、そんな編集ばかりやっていた。
なかなかの佳作なので、オンエア始まったら告知します。



さてこれはどういうことか、脚本論に置き換えてみよう。
セリフ尻や、セリフ頭に気をつけよう。

何かを省略したり、含んだり出来るかどうかをやってみよう。
無意識に言えばどうなるかのリアルをまず書き、
セリフ尻や頭に加工を入れたら、
少し省略が効くことを覚えよう。

ひとつだけでは効果が感じられないが、
ワンシーンに20個セリフがあるとすれば、
その10個をそうしてみよう。
大元のリアルなダラダラより、
締まった会話や間になる筈だ。

間をつくったり、盗んだりとは、
時間軸、つまり音のことである。

我々の扱う、映像というジャンルは、
絵と音で物語を語る。
間を作るのはどちらか?と聞かれて、
咄嗟に答えられないのは、よくわかっていない証拠だ。
posted by おおおかとしひこ at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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