2016年02月25日

決断

物語の中の人間が魅力的に見えるのは、
この瞬間があるからではないかと思う。


どんな美人や美男の写真や絵より、
どんな服やメイクより、
どんな光の中やシチュエーションより、
どんな仕草やポーズや表情より、
どんな冗談や会話より、
どんなアクションや歌や仮装などの余興より、
物語の中だけにしかない瞬間こそが、
物語の中の人物にしかない、
魅力の瞬間である。

それは決断である。

「時間を先に進めること」である。
裏を返すと「もう元に戻れないことを、引き受けること」である。
自分を決めることである。
今後周囲や事態がどうなったとしても、
これはこうだと決めることである。

決定は覆らない。
それが人生で、社会で、世界である。

その連鎖を作ることが、物語を書くことである。



あなたの主人公は、その物語の中で、
何度決断をするのか。
最低二回。第一ターニングポイントと第二ターニングポイント。
おそらく15分に一回。あるいはもっと。
覆らない台詞を言うこと、
覆らない行動をすること、
これらを含めれば、もっともっともっとだろう。

主人公はこの問題に参与するまでは、
覆すことが可能な世界、つまり日常にいた。
しかし事件に関わることを選んだのだ。
好むと好まざるとに関わらず。
冒頭7、8分までに最低一度ある決断(事件への参与)以降、
主人公は、覆らないことの怒濤の中に入る。
それは問題解決の瞬間、ラストシーンまで。

物語の中の人物の魅力が、
決断という覆らない時間の魅力だとしたら、
主人公は何度も何度も何度も、
しょっちゅう魅力的になっていくのである。

そうじゃないとすると、
あなたの主人公はあんまり決断をしてないんじゃないか。
他キャラのほうが魅力があるのは、
主人公があんまり決断をしてないんじゃないか。

劇的ということは、
土砂降りとか桜吹雪とか、大声で叫ぶとかカメラワークとかではなく、
決断(覆らないこと)の、
大きさで決まるような気がする。
(死とか選択とかが劇的なものの代表なのは、
おそらくそういうことだ)



たとえばニートはカッコ悪い。
それは決断を先伸ばしに永遠にしているからだ。
ところが自宅警備員と「規定」した瞬間にちょっとかっこよくなる。
それは決断だからだ。
posted by おおおかとしひこ at 05:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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