2016年02月25日

ドラマが詰まらなくなった理由

前記事のつづき。

何故ドラマが詰まらなくなったのか?
ストーリー型CMがなくなった理由。
面白い映画が減った理由。

それは、皆が決断を怖がっているからではないか?


数々のクレーム対策。
明言を避けて曖昧にしておくこと。
責任を回避できるようにしておくこと。
ヒットしなかった時のリスク回避。
保険をうつこと。
コンプライアンス。
「※CM上の演出です」。
「※フィクションです」。
リクープラインの確保。
数字至上主義。(みんな忘れてるかも知れないが、数字至上主義より前の時代があったのだよ)


炎上を避けたり、
無難にしたり、
まるくしたり、
言い訳の逃げの手を打ったり、
クレームを怖がったり、
冒険しなかったりすること。
守り。

それは、決断という責任を取ることと、
真逆のベクトルだ。


無難・ザ・グレート、
と僕は擬人化して言う。

それが、
世の中に素晴らしい物語を産むことの、
実は最大の敵ではないかな。



決断は、極論すれば死と引き換えだ。
失敗すれば死。
その面白さが物語だ。
みんな、死ぬのを怖がっている。
決断の先の果実を捨ててまで。

お前それでも男か。
女が社会進出したせいか。
女は死と隣り合わせの現場に来るな。危ないから下がってろ。
現場は男のものだ。
(ここでいう男と女は、生物学的性ではない)




僕は面白い物語を書きたい。
それはつまり特異な、新奇な決断を描きたいということだ。
チームがそれを許さない、
チームとして責任を取れないのなら、
個人でやるしかないのかなあ、
と、無難・ザ・グレートを倒すのではなく、
一人で闘うことを模索してるのかも知れないね。
もちろん、一緒にやりましょうという仲間や味方は歓迎だ。

ヒントは数字至上主義の逆にある。
誇りとか信用とか主義ではないか。
posted by おおおかとしひこ at 05:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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