伏線はなんのためにあるのか。
驚かせるためか。
それはどちらかというとどんでん返しの技術に含まれる。
普通の伏線は、のちのちの唐突を防ぐためにある。
布石、のようなものである。
「バードマン」を見返していて、
クライマックスの拳銃自殺(?)が、
唐突としか思えない。
どうしてそうなったのか、
腑に落ちない。
というより、理屈は分かる(追い詰められてのインパクト狙い)が、
そこに僕の気持ちが寄り添えない。
有り体に言うと、乗れない。
伏線があれば、腹に落ちたと思う。
ということで、この伏線を作ってみよう。
たとえば、一幕で。
バードマンとの控え室での対話を作ろう。
バードマンは言うまでもなく主人公のシャドウであり、
主人公の恐れや暗黒面の象徴だ。
それとの対話とは、迷っていることを示す。
ベタに言えば、肩の上で天使と悪魔が会話しているやつと同じである。
それをかっこよく表現しているだけである。
主人公は、人生を賭けた舞台が、成功するかどうか不安だ。
バードマンはそこにつけこんでくる。
バードマン「そんな詰まらなそうな舞台、誰が見に来るんだ?
下らねえ」
主人公「うるさい。俺はこの舞台に賭けてるんだ。
やっとたどり着いたんだ」
「たどり着いてそれかい。そんなお子様芝居、誰も喜ばねえよ。
劇評家にこき下ろされて、社会的に死ぬだけだ。
もっとも、みんな、お前が社会的に死ぬのを見たいんだろ?」
「お前、黙ってろ!」
バードマン、やおら控え室のラジカセを持ち、壁にぶち当ててぶっ壊す。
バラバラになった部品。
「…」
「お前、何故見た?」
「何故?」
「壊れたからだ。人は、壊れるのが見たいのさ」
「…」
「(拳銃で頭を撃つゼスチャー)そうだろ?」
伏線のコツは、控えめに仕込むのではなく、
強烈に印象づけることである。
しかも、後半で使うときと、全く別の使い方をしておくことだ。
ここでは、「舞台が失敗するかもしれない」という文脈で、
「壊れる」ことを強烈に印象づけておいた。
ここまで印象づけておけば、
三幕でのクライマックスで、
主人公が拳銃を舞台で取り出しても、
何の唐突もない。
それどころか、社会的に死ぬより、本当に死ぬことを選んだのか、
とハラハラさせることが可能になる。
本当に死ぬつもりだったが、びびって外れて鼻をうち、
伝説になった、という怪我の功名的成功を、
無理なく導けると思う。
唐突にそれやってなんでやねん、を防げる。
第一稿でこのような巧みな伏線を張ることは、
なかなかに難しい。
こういう技術的なことは、リライトでやったほうがいい。
勿論、その技術
(的確な診断と、治療の方向決めと、実際の有効な施術)
が確かでないと、
ただのぐちゃぐちゃだけれど。
こういうのは、伏線厨が好きな伏線のタイプではないだろう。
伏線とすら気づかないかもだ。
プロ(実践者)が分かる、プロの伏線だ。
2016年02月25日
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