2016年02月25日

伏線の効果

伏線はなんのためにあるのか。
驚かせるためか。
それはどちらかというとどんでん返しの技術に含まれる。

普通の伏線は、のちのちの唐突を防ぐためにある。
布石、のようなものである。


「バードマン」を見返していて、
クライマックスの拳銃自殺(?)が、
唐突としか思えない。

どうしてそうなったのか、
腑に落ちない。
というより、理屈は分かる(追い詰められてのインパクト狙い)が、
そこに僕の気持ちが寄り添えない。
有り体に言うと、乗れない。


伏線があれば、腹に落ちたと思う。

ということで、この伏線を作ってみよう。


たとえば、一幕で。

バードマンとの控え室での対話を作ろう。
バードマンは言うまでもなく主人公のシャドウであり、
主人公の恐れや暗黒面の象徴だ。
それとの対話とは、迷っていることを示す。
ベタに言えば、肩の上で天使と悪魔が会話しているやつと同じである。
それをかっこよく表現しているだけである。

主人公は、人生を賭けた舞台が、成功するかどうか不安だ。
バードマンはそこにつけこんでくる。

バードマン「そんな詰まらなそうな舞台、誰が見に来るんだ?
下らねえ」
主人公「うるさい。俺はこの舞台に賭けてるんだ。
やっとたどり着いたんだ」
「たどり着いてそれかい。そんなお子様芝居、誰も喜ばねえよ。
劇評家にこき下ろされて、社会的に死ぬだけだ。
もっとも、みんな、お前が社会的に死ぬのを見たいんだろ?」
「お前、黙ってろ!」
バードマン、やおら控え室のラジカセを持ち、壁にぶち当ててぶっ壊す。
バラバラになった部品。
「…」
「お前、何故見た?」
「何故?」
「壊れたからだ。人は、壊れるのが見たいのさ」
「…」
「(拳銃で頭を撃つゼスチャー)そうだろ?」



伏線のコツは、控えめに仕込むのではなく、
強烈に印象づけることである。
しかも、後半で使うときと、全く別の使い方をしておくことだ。

ここでは、「舞台が失敗するかもしれない」という文脈で、
「壊れる」ことを強烈に印象づけておいた。
ここまで印象づけておけば、
三幕でのクライマックスで、
主人公が拳銃を舞台で取り出しても、
何の唐突もない。
それどころか、社会的に死ぬより、本当に死ぬことを選んだのか、
とハラハラさせることが可能になる。

本当に死ぬつもりだったが、びびって外れて鼻をうち、
伝説になった、という怪我の功名的成功を、
無理なく導けると思う。
唐突にそれやってなんでやねん、を防げる。



第一稿でこのような巧みな伏線を張ることは、
なかなかに難しい。
こういう技術的なことは、リライトでやったほうがいい。
勿論、その技術
(的確な診断と、治療の方向決めと、実際の有効な施術)
が確かでないと、
ただのぐちゃぐちゃだけれど。

こういうのは、伏線厨が好きな伏線のタイプではないだろう。
伏線とすら気づかないかもだ。
プロ(実践者)が分かる、プロの伏線だ。
posted by おおおかとしひこ at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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