2016年02月26日

空気の正体

前記事のつづき。

つまり、物語における空気とは、
半脱ぎである。

心がひらき、他人と心を交わしたあとにある、
目に見えない絆のようなものである。


風魔の10話、告白の前後の、
小次郎と姫子の空気の変化を例にとろう。
鉄塔(東京タワーではない!)の上で、
心を脱いで、つまり本音を晒したからこそ、
二人には永久に消えない、絆が結ばれた。
今後小次郎は姫子を裏切らないし、
姫子も小次郎を裏切らないだろう。
それが心を交わした証拠である。

それが二人の間の空気に出る。
恋する男女のように見つめあわなくても、
たとえ一生会えなくても、
二人の間には、二人しか共有出来ない空気がある。

トレンディな恋愛とか、やりちんやりまんカジュアルセックスにはない、
本当の心の絆である。


風魔のテーマは絆だ。
死がたとえ二人をわかつとしても、
消えない絆が永遠に残る。
項羽と小龍、紫炎と白虎、
小次郎と麗羅、小次郎と壬生、
小次郎と武蔵、小次郎と絵里奈、壬生と武蔵、壬生と陽炎。
そして小次郎と姫子、蘭子と竜魔。
彼らは、心を脱ぎ、絆を交わした。

それが、空気に出るのである。
言わなくても。



物語は、最終的には空気で表現する。
ラストシーンの空気で。

激しいベッドシーンに体当たりしても、心を脱いでなければ物語ではない。
肌や乳首を晒さなくても、心を脱いでいれば物語だ。

つまり、脱げ。(強引)


裸を晒しても、心を晒さないAV女優は、
物語を演じる女優ではない。
それが物語側にうっかり足を踏み入れてしまった、
希志あいの「スキャンダル」は、
優れたドキュメンタリーかつ物語である。
18歳以上は、見るべき傑作だ。
posted by おおおかとしひこ at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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