前記事のつづき。
つまり、物語における空気とは、
半脱ぎである。
心がひらき、他人と心を交わしたあとにある、
目に見えない絆のようなものである。
風魔の10話、告白の前後の、
小次郎と姫子の空気の変化を例にとろう。
鉄塔(東京タワーではない!)の上で、
心を脱いで、つまり本音を晒したからこそ、
二人には永久に消えない、絆が結ばれた。
今後小次郎は姫子を裏切らないし、
姫子も小次郎を裏切らないだろう。
それが心を交わした証拠である。
それが二人の間の空気に出る。
恋する男女のように見つめあわなくても、
たとえ一生会えなくても、
二人の間には、二人しか共有出来ない空気がある。
トレンディな恋愛とか、やりちんやりまんカジュアルセックスにはない、
本当の心の絆である。
風魔のテーマは絆だ。
死がたとえ二人をわかつとしても、
消えない絆が永遠に残る。
項羽と小龍、紫炎と白虎、
小次郎と麗羅、小次郎と壬生、
小次郎と武蔵、小次郎と絵里奈、壬生と武蔵、壬生と陽炎。
そして小次郎と姫子、蘭子と竜魔。
彼らは、心を脱ぎ、絆を交わした。
それが、空気に出るのである。
言わなくても。
物語は、最終的には空気で表現する。
ラストシーンの空気で。
激しいベッドシーンに体当たりしても、心を脱いでなければ物語ではない。
肌や乳首を晒さなくても、心を脱いでいれば物語だ。
つまり、脱げ。(強引)
裸を晒しても、心を晒さないAV女優は、
物語を演じる女優ではない。
それが物語側にうっかり足を踏み入れてしまった、
希志あいの「スキャンダル」は、
優れたドキュメンタリーかつ物語である。
18歳以上は、見るべき傑作だ。
2016年02月26日
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