一本も完成させたことのない人には、
恐らく分からない。
短編だろうが長編だろうが、
書き終えた作者の脳内に起こること。
不思議と、作品の構造が透けて見えているものだ。
それは、隅々まで掃除した部屋の、
細かい配置が脳のなかに入ることと似ているかも知れない。
あなたは作品を、「完全に理解する」。
テーマとモチーフの関係、
三幕構成、
プロットとサブプロットの関係、
伏線と解消の地図などなどだ。
その理解の仕方には、
作者のレベルに応じてさまざまな段階がある。
一度その「完全に理解する」が起こると、
作者のレベルアップが起こる。
もし同じことをやるならば、
もっと効率的に組むやり方が分かるし、
別のやり方も考えつくだろう予測もつくようになる。
つまり、反省がなされるのである。
成功したことも、失敗したことも、
とにかく細かいレベルで把握できるから、
次、別の話を作るときに、
どこまでを細かく知っていて、
どこからを細かく知らないかを、
分かるようになる。
平たい言い方だと、経験を積んだのである。
どこかのアンケートで見たのだが、
書き終えて一度も読まない人もいるのだそうだ。
それでは何の進歩もない。
気に入らない所を直したり、
どう直しても気に入らない部分が出てくることに、
あなた自身が向き合い、
自分の限界一杯を、知る経験は重要だ。
限界一杯が分かれば、
作品を作っていないときですら、
他人の作品を見たら何かを学べるようになる。
過去作品を読み返していないなら、
今すぐ読み直すべきである。
その痛々しさ、至らなさに、
傷つき、打ちのめされるべきだ。
反省なきところに、進歩などないからである。
これは、最後まで書かないと起こらない。
途中までしか書いたことなければ、
途中まで書くスキルしか学べないだろう。
「作品をつくるという能力」は、
作品をつくることでしか伸びないのである。
つまり、沢山沢山つくり、
沢山沢山反省するしか、
上手くなる道はないのである。
辛いよ。
だから名作家は稀なのである。
みんなどこかで持ち崩すんだ。
たとえ牛歩でも、歩き続ける奴だけが、成長を続ける。
2016年02月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック