2016年02月28日

完成したあと何が起こるか

一本も完成させたことのない人には、
恐らく分からない。

短編だろうが長編だろうが、
書き終えた作者の脳内に起こること。


不思議と、作品の構造が透けて見えているものだ。
それは、隅々まで掃除した部屋の、
細かい配置が脳のなかに入ることと似ているかも知れない。

あなたは作品を、「完全に理解する」。
テーマとモチーフの関係、
三幕構成、
プロットとサブプロットの関係、
伏線と解消の地図などなどだ。
その理解の仕方には、
作者のレベルに応じてさまざまな段階がある。

一度その「完全に理解する」が起こると、
作者のレベルアップが起こる。


もし同じことをやるならば、
もっと効率的に組むやり方が分かるし、
別のやり方も考えつくだろう予測もつくようになる。

つまり、反省がなされるのである。

成功したことも、失敗したことも、
とにかく細かいレベルで把握できるから、
次、別の話を作るときに、
どこまでを細かく知っていて、
どこからを細かく知らないかを、
分かるようになる。

平たい言い方だと、経験を積んだのである。


どこかのアンケートで見たのだが、
書き終えて一度も読まない人もいるのだそうだ。
それでは何の進歩もない。
気に入らない所を直したり、
どう直しても気に入らない部分が出てくることに、
あなた自身が向き合い、
自分の限界一杯を、知る経験は重要だ。

限界一杯が分かれば、
作品を作っていないときですら、
他人の作品を見たら何かを学べるようになる。


過去作品を読み返していないなら、
今すぐ読み直すべきである。

その痛々しさ、至らなさに、
傷つき、打ちのめされるべきだ。
反省なきところに、進歩などないからである。



これは、最後まで書かないと起こらない。
途中までしか書いたことなければ、
途中まで書くスキルしか学べないだろう。
「作品をつくるという能力」は、
作品をつくることでしか伸びないのである。

つまり、沢山沢山つくり、
沢山沢山反省するしか、
上手くなる道はないのである。


辛いよ。
だから名作家は稀なのである。
みんなどこかで持ち崩すんだ。
たとえ牛歩でも、歩き続ける奴だけが、成長を続ける。
posted by おおおかとしひこ at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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