2016年02月28日

セルフパロディは寒い

色々やっちゃいけないこと
(たとえば夢落ち、出落ち、vsシリーズ、出落ち落ち)
の中の、ひとつ。

セルフパロディほど、寒いものはない。


なんだろうね、強烈な内輪臭がするからだろうね。
その内輪に入っていれば、
楽しいのだろうけれど、
その内輪に入っていない人から見たら、
恐ろしく疎外感がある。

まるで知らない人しかいないパーティーに行ったような感じ。
そこに招かれたはいいけど、
自分以外みんな仲良しで、自分一人おいてけぼりな感じ。

観客をそういう目に会わせてはいけない。



シリーズものは、セルフパロディになりがちだ。
前の作品をみた人前提の何か、
をやりがちだからだ。

それは宜しくない。

山田洋次は、「毎回初めて観客を車寅次郎という男に会わせる」
つもりで、「男はつらいよ」を撮り続けたという。
だから毎回新しい話になったのだろう。
前のアレとアレを使って、
なんていう安易なセルフパロディに走らなかったことで、
あれだけの国民的シリーズを作り上げたのである。


セルフパロディは、下手のやり方だ。

実はこの世界は、前にかいた漫画の世界と繋がっていて、
という漫画がたまにあるけど、
それも、前の漫画を知らない人にとっては何も面白くない。
前の漫画を知ってる人だけを相手にすると、
今の客を失う。

あの嫌な感じのパーティーに出席した気分になるからである。



セルフパロディは寒い。
対策は簡単だ。
毎回完全新作を作ればいいだけだ。
それを作る手間を惜しんだり、力がないから、
セルフパロディの力を借りてしまうにすぎない。


受信寮?なんだっけ?
身内びいき?
posted by おおおかとしひこ at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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