どうして、「脚本家や小説家を(ひそかに)目指してます」という奴に限って、
かなりの確率で、一本も完成したものがないのだろう?
先日この話をしていて、
「一本も書いてないと、無限に可能性があると思えるから
(もし最初の一本が駄作だと、プライドが傷つくから)」
という話になった。
童貞が、童貞を捨てるのは初恋のスーパー美人、
と思い詰めて、こじらせているのと同じであると。
自分の思い描き、夢想する、
完成された名作は、
どんなに夢想しても存在しない。
それはイデアにすぎない。
童貞を捧げる初恋の美女と同じだ。
現実に書かなければならない原稿は、
手汗にまみれ、汚い字で、
みっともない構成で、たどたどしい台詞で、
落ちも切れの悪い、
規定の枚数にも達してないか、大幅にオーバーしている、
不恰好そのものの、
字の羅列だ。
書いたとたんに光りだし、いい匂いがし、
道行く人が振り返り、
読んだ人が思わず号泣し、
プロの編集者が「これは芥川賞間違いなしだよ!」と、
激賞してくれる、
そんなものはない。
文字原稿というのは、最も読むのにエネルギーを要するものであり、
出来れば読まないで人生を送りたいもののひとつだ。
公共料金や税金を、手で払うような面倒さだ。
むしろそっちのほうが楽かも知れない。
そんな妄想の素晴らしい原稿は、この世にない。
イデア世界のものにすぎない。
だから、あなたが最初に完成させた原稿が、
詰まらなく、みじめで、無視するレベルだとしても、
誰も困らない。
あなたの童貞脱出が、夢想していたほど光輝く体験でなかったのと、同様に。
勝負は、何本も作ったあと、
脂が乗ってきてからである。
そのときに備えて、童貞などさっさと捨てることだ。
あなたの夢想する最高傑作は、
何十本も経験したあとに、
力味が取れ、自在を身につけたあとにしか、
書くことは出来ない。
その一歩を誰にも見られないように踏み出して、
気づかれないように二歩三歩いくことぐらい、
勝手にやっておけ、っちゅう話や。
ということで、こっそり、沢山書くのだ。
一番出来のいいやつを、初発表の「処女作」にしたらええやん。
編集者だって、一本読んで微妙なら、他に何本か見せてよ、
って選択肢を考えるはずだよ。
2016年02月29日
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