2016年03月01日

プロの現場から4:演出コンテ

ん?OAは始まっても、サイトなどの反映はまだかも。
長州先生がサイトで暴れているようだ。
まあいずれ皆さんの目に触れるだろう。


企画コンテから、演出コンテへ。
企画コンテとは、
あくまで沢山ある話をプレゼンするときの便宜的なものである。
だから、大きくはこんな話、という漫画だ。
演出コンテは、その話を、カメラで撮影し、編集して、
一本のフィルムに仕上げる為の設計図である。

公開してみよう。


演出コンテ(初稿).pdf

企画コンテは別の人がかき、演出コンテは監督がかくから、
大抵全然違うカット割になったりするけど、
今回は、企画・演出とも僕なので、見た目上は大きく違わない。

しかし少し違う部分があり、これが「フィルムとして見る」ことに寄与するのである。


トップカットに、田舎と東京の二分割が追加されている:

この話の初期設定を引き絵で示している。
田舎と東京の部屋のカットバック話なので、
それを分かりやすくする為。
この話は、トップとラストで挟まれた、「二分割」の話だ。


「ハイハイ…」のカットに、腰をトントンしている:

田舎の母の、年を示すいい小芝居のアイデアだ。
台詞の言い方だけではこれはできない。


ボイスオーバー「火が消えたよう」:

「荷物が少なく、寂しい」という説明台詞よりも更に短く、
かつ心にしみる、一言で母の感情を示す台詞。


「見たかったー!」をショートパンツ姿にしている:

すいませんスケベで。でもこういう色気は重要です。
理屈をいえば、部屋の中でリラックスしてる感じにしたいのです。
リアルだとジャージだったりするけど、それのCM的な表現ということで。


「…そうね」のヨリを加えている:

この台詞が勝負カットになる。ヒキよりも役者の芝居を引き出したい。
役者の芝居がへぼければ、ヒキで台詞、
という企画コンテのように編集してしまえば良い。


その後のバックショットにキャッチコピーを:

その方がコピーも効くよね。
また、「家族ができること」から「してやれること」へ変更。
things family can doではなく、
she will have a familyに誤解されるおそれがあったため。


また、演出コンテを切る際に、NHKサイドからのオーダーが少しあった。

○公共放送受信料は、ガスや水道と同様公共インフラに見えたい。
 その手続きをするのと同様、受信手続きをする意識をもってもらいたい。
○母親が実際に家族割引手続きをしているカットを入れたい。
 (スマホで手続きが出来るので、それを見せたい)

の二点だ。これをラストで解消している。
「手続き」というワードが重要だということから、
ナレーション副案を「手続きを。」にしたりしている。



さて、次に60秒。

せっかくいい話なので、60秒形をつくることも考える。
間をたっぷり取り、世界に入る快感がより強くなるだろう。
感情移入はより深くなる。

だが、予算極貧という条件を忘れてはならない。
新たに撮るカットを増やさず、同スタンバイで撮れるようにする。
最も簡単なのは、台詞を増やして、カットバックのターン数を増やすことだ。
だが、30秒の切れのいいものが、ただ水増しされているだけではダメだ。
60秒には60秒なりの、いい台詞が必要である。

また、実はこのコンテは「1日で撮影する」という予算条件を予測して、
二カ所ロケを1日で撮れるように、
「母親サイドは窓ヌケのみ、娘サイドは部屋ヌケのみ」にしてある。
(「机の下を探すヨリ」「ラストの娘の窓ヌケ」のみが切り返しの例外)
芝居に重要な部分は切り返さず、一気に撮れるようにカットを割っている。
実際、撮影でも長回しで一気撮りした。
カット数の割に、一回照明を決めればレンズや撮影距離を変えるだけなので、
とても効率よく撮れるコンテなのである。
(このへんの凄さはプロしか分からないかも知れない…)


脚本論的なポイント。
序破急のリズムでつくられていることに気づいたか?
30秒のコンテを見よ。
下線で秒数を示した部分だ。
12秒10F、9秒20F、8秒の秒割である。
NHKのノンモンは前後1秒なので、
実質、11秒、10秒、7秒の序破急のリズムになっている、ということだ。
(60秒形は下線を引く所を間違えたが、
実質は、25秒、30秒、10秒、という序破急のリズムである)

序は、世界を設定する。
破は、その世界を壊す。
急は、風雲急を告げ、落ちをつくる。

その関係になっていることに気づくだろう。
その転換点にふたつとも、
部屋のヒキを使っていることも象徴的だ。
(第一ターニングポイント、第二ターニングポイントでは、残念ながらない)

序の世界の終わりが、母親の気持ちの内面、
破の世界の終わりが、その気持ちが軽くなること。
それが転換点の象徴、ヒキでキャッチコピーで締まる。
そういう構造だ。
(序の終わりでは、母の意識は過去に向いていて、
つまり部屋を振り向いて見ている。
急では、母の意識は未来に向いていて、
窓の外を見ている。
同じシチュエーションで対比を作っていることにも注意)


また、序パートにおいて、
きわめて映画的なトリックが使われていることに気づいただろうか?

マクガフィンである。

小道具であり、それ自体が重要ではなく、それをめぐる人物の芝居に焦点があるもの。
言うまでもなく、
「娘が母親に探してと言っているもの」(実際には小さなノートにした)。

ノートだろうがペンだろうが服だろうがなんでもよい。
これを挟んで彼女たちが会話する中で、
セットアップが巧みになされていることに気づかれたい。

つまり、
田舎の母親と、上京した一人暮らしの娘であること、
その荷物がまだ片付いていないこと、
娘は母をいいように使っていること、
母は年であること、
そして、そんな調子のいい娘がいなくなった部屋が、
とても広くなってしまって、寂しいこと。

マクガフィンを巡る対話の中で、
これだけの情報が無理なくセットアップされている。

あとは話を展開させればよい。
新しい情報は鳥小屋だ。
その話をした上で、母親の気持ちが上向きになるように、
巣立った娘の、まだ不安定で心配だけど、
独り立ちしたことを喜ぶような、
そういう気持ちに持って行けば良いのである。


ここまでを、演出コンテで計画している。
CMの演出家というのは、このように演出コンテを切る。


さて、制作途中では色々な横やりが入るものだ。
次回につづく。
posted by おおおかとしひこ at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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