2016年03月01日

デジタルは人を幸せにしない:HD化の意味はなかった

久しぶりに全てに神経を集中するような作品を作って、
やはりHD(1920x1080)はCMやドラマには不要だと実感した。

情報量が多すぎる気がする。
フルピクセルフルフレーム見てられない。

ハーフHD(1280x720)ぐらいが適切かなあ。
僕はいまだにSD(720x540)ぐらいでいいと思っている。
横長にするなら、ワイドSD(960x540)でいいんじゃねえの?
ちなみに世界の広告賞は、640x320で審査してるぜ?


実は、高解像度が威力を発揮するのは、
「止めて見るとき」だけである。

後ろに何かバレモノがあるときとか、
写っちゃいけないもの(幽霊とかではなく、企業ロゴとか、
無許可の一般人とか)があるときとか、
いちいち静止画で確認して、
問題があるかどうかを考えるものである。

レコーダーに一時停止機能さえなければ、
ひょっとするとこの問題はスルーかも知れなかった。
だが、人が一時停止可能な以上、
「○○が写っていた」ことに気づかれてはならないのだ。


SD時代の情報量なら、フォトショで消せる。
実際、SDのピクセルをレタッチしてみるとよい。
現在は、フルHDのピクセルをレタッチする羽目になっている。
マシンスペックが上がったとはいえ、
レタッチは手動だから、
手間が増えていることが分かるだろう。
勿論レタッチだけでなく、合成も同じくだ。

HDになって楽になったのは、タイトル(文字)周りだけだ。
文字が見にくい、小さい、というもめ事が殆どなくなった。
(昔は720x540の更にタイトル安全、576x432の中にレイアウトしたものだ。
で、NTSCはピクセル比0.9だから、
576x389が実質タイトルに使えるピクセルだった)
だけどそのタイトルの確認は、
一々止めて確認するようになった。
バカだなあ。

タイトルを整理するなんて知恵が、どんどん現場から失われ、
何でもかんでも文字を入れるCMばかりだ。


HD画質は、止め絵でしか効力がない。
ところが、ムービーとは動くことである。
脚本論でも常に議論しているが、
物語とは動くことで示される。
静止は物語の死である。

で、動くものにHD、必要?


結局YouTubeでもハーフHDが関の山だ。
VHSの3倍モードが懐かしい。
画質を落としてでも、人は沢山集めたい、見たい。
スマホ用動画なんて320ぐらいでやってるだろ?
いる?HD?

つい最近まで、フルHD放送はしていなかった。
しかしフルHD放送とはいえ、mp4圧縮がかかっている。
実質僕らがやり取りするデータも、
H264圧縮がスタンダードになった。

誰もフルHDなんて、重すぎていらない。



物語は動くことだ。
それにフルHDは、重すぎると思う。

映画ならいい。
でも映画ほど、我々映像の現場は資金を与えられていない。
ちなみに日本映画も、予算が圧迫されて、
絵の質は下がる一方だ。

現場の絵作り資金(スケジュールも)が減って、
画質だけが上がって行く。
それは、本当の質を上げること?
posted by おおおかとしひこ at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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