2016年03月02日

芝居のコツは、二つの文脈を重ねること

単純な感情の表現なら、
少し基礎を積めば誰でも演じれる。


嬉しい、とか、怒ってる、とかだ。
原始的な感情だけでなく、
やや複雑な感情も、単一なら演じることはすぐできる。
たとえば、
退屈している、本意を隠している、などである。

勿論それは、仕草や台詞を創作してもいいし、
台本に書かれていることを、そのように演じてもいい。


また、優秀な台詞とは、
言っている言葉と、
その意味が全然違うものを言う。
たとえば、「ばか」を、「すき」の意味で使うような。

この「ばか」を好きの意味で言うことは、
「すき」を好きの意味で言うことより、
高度な演技法が必要である。
単純な、初歩的な演技法ではない、
自然な人間の演技が必要だ。

だが実際、我々が「ばか」を好きの意味で使ってる、
と判断するのは、物理的演技からではなく、
それまでの文脈だ。
文脈がないのに、演技だけでやったって、
なかなか伝わらない。
演技と文脈の両方で、我々は意味を読み取り、
確信し、更に味わうのである。



さらに。

あるひとつの言葉に、別々の文脈が入ってる、
という芝居は更にレベルが上がる。

たとえばNHK「娘が出て行った部屋」の、決めの台詞、
「…そうね」という言葉は、
「娘が東京に行ったことが、嬉しい」、
「娘が東京に行ったことが、さみしい」、
という二つの気持ちを同時に込めながら、
「娘が調子に乗っていることへの返答」として、
答えている、
三重の文脈が重なる台詞である。

三重の、と考えると急に難しくなるかも知れないが、
分析してみると難しいだけで、
我々は日常世界でも、このような複数の文脈が重なった言葉を言うものだ。
たとえば、
「行けたら行くね」は、大抵「行かない」の意味なのだが、
それを悟られないように言われる言葉である。

風魔の10話、
姫子の「では、小次郎は、死ぬか、風魔の里へ帰ってしまうのね?」
という問いに答えた小次郎の、
「…そうです」も同様だ。
表面上は質問に答えていながら、
主君への態度を示して、
自分の気持ちを切り取って返答することで辛さを表現している、
三重の文脈が重なった言葉だ。


このように、
複数の文脈が同時に重なると、
芝居は途端に面白くなる。

好きだとばれちゃいけない中での、
ドキドキした男女の会話、なんてのは良く出てくるだろう。


あなたは、こういう言葉を、
肝になる場面で使っているだろうか?

ただひとつの感情や、情報を、
与えるだけの台詞を書いちゃいないだろうか?

そんなの、演技初心者が練習するような、
詰まらない台本だ。

男「わー楽しい!」
女「やっほう!」
なんて台詞は、なんにも面白くない。

ところが、
これから告白がある、と互いに知っている男女が、
カラオケボックスに入った瞬間、
楽しいカラオケのふりをする、
という文脈になった瞬間、
この台詞の演技は、途端に面白くなるだろう。


複数の文脈が同時に重なる言葉を、
自在に使おう。
つまりそれは、その言葉に入っている意味以上の意味が、
それに込められているということだ。

「…そうね」
「…そうです」
と、たった一言イエスと言っているだけなのに、
それにはそれ以上の意味が、沢山込められている。

それが、面白い芝居になるのである。
posted by おおおかとしひこ at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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