連作短編は、書きながらキャラを作っていく側面がある。
一方、長編は、全部作ってから書きはじめる。
連作短編は、エピソード単位で物事をつくる。
だから、登場人物の、そのエピソード上必要な部分だけを最低限作ればいい。
だが、シリーズを重ねていくうちに、
徐々にキャラクターが形作られていくものである。
実際のところ、人物の変化は結果的だ。
初期設定だけしたキャラが、
エピソードを重ねているうちに、
大抵は「勝手に」成長変化してゆく。
つまり、連作短編は、キャラを作りながら書いてゆく。
(だから後半になって勝手にキャラが動くのは、
よく経験する現象である)
この場合、キャラの変化は予測できない。
思いもしなかった方向に伸びていくような感じだ。
それが面白いから、
書く前に多くを決めない作家も多い。
がそれは、完結させ慣れている人に限ると思う。
この形式では、作者の制御力や構成力は鍛えられないからである。
一方、長編は、
最初から最後まで計画する。
登場人物の変化は、すべて予測済みで計画的である。
連作短編の後半に訪れる生き生きとした登場人物を、
最初から登場させ、
計画的に欠落を描き、
計画的に内的問題を描き、
計画的に解決させて、
計画的にカタルシスを通過させて変化成長させる。
それを、
最初からプロットやシノプシスに組み込み、
そもそもそれがテーマであるような構造を、
計画的に最初から作る。
連作短編は、なんとなくテーマを決めておいて、
その周りをぐるぐる巡る感じだ。
そのうち肉薄出来る入り口を、書きながら見つける感じ。
だから終わるまでに、見つからないこともある。
(これが完結しないことの原因になる)
つまり、テーマとの距離感が違うのだ。
勿論、両極端なやり方を述べているので、
両者はどこかで融合することもある。
連作短編形式だが、長編のように予め計画してあるとか、
長編構造だけ作っておいて、一部は連作短編のようにアドリブでやっていくとか。
登場人物の作り方、話の構造すら、
両者は異なる。
あなたは、連作短編を書こうとしているのか?
それとも長編一本を、書こうとしているのか?
混同していては、中身もぶれまくると思うよ。
たとえば連作短編を書いてるうちに長編になった、
というパターンはよくあるけど、
その場合序盤がぬるく感じると思うよ。
ラストの為の一幕に、効率的な構造をしてないことが多い。
(自分の例で言えば、「いけちゃんとぼく」の一幕は、
連作短編形式の原作を、上手く変換しきれなかった部分だ)
自分はどちらを書いているのか?
その意識を持てば、
完結できないという悩みを客観視出来るのではないか?
2016年03月05日
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