小さい経験なので、メアリースーが忍びがちだってこと。
CMはこれをとても良くやってくる。
モヤモヤな私→爽快な商品→気分爽快!
などだ。
メアリースーとは、
「他者によるタナボタで、
自分からはなにもしない」と言える。
上のCMは、その典型なのだ。
なぜなら、
「あなたは苦労や努力などしなくてよいのですよ。
この商品を買うだけでOKです」が、そのCMのメッセージだからである。
つまり、商品によって、人は堕落させられている。
CMは、その、堕落したい気持ちを狙い打つように出来ている。
つまりはのび太症候群ということだ。
小さな経験で小さな変化をする、
という短編では、
自分が「影響を受けて、変えられる」だけで終わってしまうことが多い。
窓辺系も同じくだろう。
それでは単なるお客さんだ。
主人公は、内面の変化の結果、
誰かにも変化を及ぼさなければならない。
「誰かに変化させて貰ってラッキー」ては、
自分が何も手を下していない。
手を下し、責任を取ることが、
経験するということである。
それは勿論小さなことでいい。
小さな変化と経験だからである。
NHK「娘が出ていった部屋」を例にとれば、
変化したあとの母は、NHKの受信契約を結ぶ。
いやらしいけど、
それが全く無理のない心の流れになっているから、
短編物語型CMとして、機能しているのである。
(さらにいやらしい、娘の「家族割か…」という台詞も、
母が娘に及ぼした影響、という表現になっているので、
いやらしく見えないのである)
メアリースー型主人公は、行動しないのが特徴だ。
のび太だからね。
だけど、行動すりゃ何でもいいわけじゃない。
それは単なるアクティブ野郎にすぎず、
騒がしいだけかも知れない。
そうでない主人公のパターンのほうが多いだろう。
ただでさえ日本人はミニマムを美徳とするし。
主人公の行動は、意味のある行動であるべきだ。
何に意味があるかというと、
変化に関連がある行動、という意味である。
前記事の例で出した小学生作文、
「ツンケンしていた私ですが、
友達にやめろよと言われて、直しました」は、
作文ではあるが、メアリースー型である。
「ツンケンしていた私ですが、
友達にやめろよと言われて、反省して、
別の子に優しい行動をしました」が、
小さな経験と、小さな変化である。
あとは、
ツンケンの具体、
やめろと言われる場面の具体、
優しい行動の具体を、
魅力的なものにすれば、
それだけで立派なショートストーリーになるだろう。
(勿論登場人物は、小学生に限らず、
学生や大人や老人に書き換えることが可能だ)
メアリースーは、楽をして認められたいあなたである。
「認められたー!やったー!」という思いがあれば、
いつも気をつけよう。
2016年03月13日
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